どうぞ、私のマスターキー。
兄さんがほしがるものならぜんぶあげるし、兄さんがいらないものはぜんぶ闇の中でおわらせてあげる。
兄さんが望むのなら何でもするよ。
弟の声が好きだった。ヴァイスはどこかで思う。それから否定する。違う、弟ならば、声だけじゃなく髪も目も唇も耳も首も腕も足も手も指もからだのすべて、心臓や呼吸のひとつさえ好きなのだ。
眠っている、ふりをしている事にネロは気づいているのか気づいていないのか。
お世辞にも質がいいとは言えないベッドのうえに横たわって、そのシーツの端に座っている弟を思い描く。目を閉じていても容易に想像ができた。枕元に座り、兄の顔をのぞき込んでいる弟。起こしたいけれど躊躇っている。話したいけれど眠っているのならば邪魔してはいけない、と自制したのだろうが、結局我慢できずに──しかしだからといって起こすという行為にも移れずに──結果、語りかけるようなひとりごとに至ったわけだ。
きっと、うれしそうな顔をしているだろうと思った。
その程度には自惚れていいほど、弟に愛されているし、そして弟を愛している。
「ボクは兄さんを愛しているから」
思考を読み取ったようにネロが言った。ヴァイスはまぶたを閉じたまま聞く。
「だから……兄さんが望むなら、何だってするよ」
繰り返した言葉。それは何度か聞いた事のあるセリフだった。
ヴァイスはいつも笑った。
そんなのは俺もおなじだと笑った。
「……兄さん……さわってもいい?」
脈絡なく、ネロが言った。
ああ、と言おうとして、いまは寝たふりをしているのだと思い直す。べつにこんな事はいつばれてもかまわない事だったが、ネロの声を聞くのが心地よかったので、ヴァイスは流れのままに沈黙で肯定した。
ネロがその意志を感じれたのかどうかわからない。しばらく静寂が部屋を満たした。やがてふたりの間にある邪魔な空気が流れ、ネロが手を伸ばしたのだとヴァイスにはわかった。
ネロの指先がヴァイスに触れて、しばらく頬と首筋を撫でるように動いた。やがて何かが唇に触れた。
それが弟の唇だとすぐにわかって、その瞬間にからだを抱き寄せたくなったがヴァイスは耐えた。弟がこのままどこまでするのか、すこし気になったのだ。
弟の舌がぬるりと侵入してきて、兄の舌を絡め取る。くちゅ、と唾液を吸い取る音。こたえたくてしょうがなかったが、いまだに不慣れな弟の不器用なくちづけがいとおしくて、そのまま受け入れた。
「んっ………」
鼻にかかったような、あまい声が耳に届く。必死に角度を変えてキスをしかけてくるネロはきっと目を閉じていると思って、薄目を開けた。
思った通り、いつもキスをするときのようにネロは目を伏せていた。ふるえる睫が見える。眠っている兄にちょっとした衝動でしかけたキスが止まらなくて、こまっているようだった。
「は……兄さ……」
唇が離されて、間近で熱くなった吐息とともに呼ばれる。
その瞬間に腕は伸ばされていた。
腕に力を入れて抱き寄せると、からだを反転させて弟のからだをシーツのうえに押しつける。逆になった位置と立場にネロが目を開いてヴァイスを見た。その視線は一瞬だけ交錯し、次の瞬間には閉ざされて唇が重なっていた。
「ぅん……ん、……ァ」
誘うために開かれた唇の中に遠慮なく入り、荒らす。愛撫していく。弟の指は、いまは兄の頬ではなく背に触れ、ヴァイスが触れ合った舌をあまく噛んでやると爪を立てた。ちり、と走った痛みは、瞬間的に熱に変わっている。
「に……さん、アッ……!」
唾液の糸を引かせたまま、いささか乱暴に首筋に噛みつくように──実際、噛みついていたかもしれない──キスをする。白い肌のうえにうっすらと赤い痕が浮かんで、その卑猥さにぞくりとした。
「………誘い方がうまくなったな、」
悪戯のようにささやくと、ネロはぼんやりとした目でヴァイスを見た後、ちいさく笑った。
「兄さんが、教えた、んでしょ」
爪が背に立てられる。
血が滲む感触。
「兄さん………」
抱きつかれ、耳元で名をささやかれる。
それだけでどうにかなってしまいそうで、
「……ネロ、愛してる」
言葉があふれた。
ネロが目を伏せて受け入れる。
「ボクも……兄さんを、愛してるよ───」
だから望むのなら何でもする。
極上の快楽も、痛みを憶えるほどの幸福も、
───望むのならすべてを。
……ボクもあげるから、
「ちょう、だい」
溺れる直前、弟の言葉が聞こえた。
2006.2.13/ヴァイス×ネロ
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