2006.1.21/一段目
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西東診療所で、人類最悪の遊び人は眠っていた。
畳が敷かれた和室をひとつ、何の家具も置かれていないそこに布団を敷き、外側の襖は開け放っている。縁側が曝け出され、月明かりが部屋に差し込んでいた。
懐かしい場所だった。
遠い昔の空気。ひかり。熱。感覚。
布団のうえに横たわり、彼はしずかに眠っていた。
月明かりを防ぐように、右腕は額の上にのせられていた。それでも襖を閉める事はしない。ただ眠る。
だが不意に目を開けた。
起きているときとおなじ、強い意志とひかりを宿した目で、天井を見据える。
───いや、その目は天井を見据えてなどいなかった。
ただ、空間を見据えている。
空気の流れにも、月明かりにも、何にも気がつかないというように、しずかに──ただただ、見ている。
彼は思い出していた。
忘れていたものまでまとめて、彼≠ノ関するすべてを思い出していた。
それは唐突だった──だが予定されていたもので、あらかじめ予想されていた事でもあった。決められていた事だったのだ。
怒涛のように襲ってくる記憶の波。その情報量に彼はまばたきもせず、ただ感じ取り、理解していた。記憶のひとつひとつが彼に浸透し、溶け合い、そして行方は消えていった。
しばらく記憶の奔流の中に、されるがまま存在していた。
流れがおわり、彼はようやく覚醒した。
「明楽」
彼は名前を呼んだ。
記憶の彼。
そっと目を閉じ、しばらく探るように、感じ取るようにまぶたを下ろし続け、やがてその目を開く。
そうして悟った。
「………死んだのか」
声は、さみしさを含んでいた。
何よりも雄弁に、さみしいと叫んでいた。
彼はくっ、と口元を歪めて、笑った。
額に乗せていた腕を下げ、目元を覆う。
じわりと着物の袖と白い肌に水が染み、痛みを憶えた。
それでもそれはなくす痛みに比べれば、痛みでも何でもなかった。
「おわりだ」
彼はふるえる声を紡いだ。
彼がそんなふうになるのは、十年ぶりだった。同時に、最後でもあった。
「明楽」
彼は呼んだ。
彼の中でおわった物語の欠片にくちづけをして、彼は右手をつよく握り締めた。
そしてゆっくりと開き、力を抜き、解放する。
別れの言葉は口にせず、西東天は世界へと手を伸ばした。
世界のおわり。
物語を読み終えたとき、この手は握り返される。
うしなわれたものを置いて、わたしはあなたに会いに行きましょう。
html / A Moveable Feast
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