2006.1.21/三段目






 絵本園樹は医者であり、他人の怪我を治す事は生き甲斐だった。それは彼女自身も認める、周知の事実。
 彼女は西東天という男のもとで働いていた。彼の周囲では怪我人が多く出る、彼女にとっては天国のような場所だ。正直なところ、彼女は西東天という男にあまり好感は持っていなかったし、むしろ苦手だったのだが、それでもよかった。
 彼の配下である、つまり園樹の同僚である《十三階段》の他のメンバーたちはよく怪我をしていた。とくに匂宮出夢とか。出夢の殺戮の相手とか。
 彼らの敵を治療した事もある。こっそりと。
 そうして日々を過ごしてきているが、園樹は考えてみれば、西東天本人の怪我を治した事はいままでなかった。しかしさらに考えてみると、彼は実際に動く事がほとんどなく、彼の手足が動き、手足である十三階段が怪我をする。当たり前だなと、出夢の怪我の治療をしながら園樹は納得した。
 その納得を忘れるくらいの日々が経ったある日。
 西東天は、現在十三階段が住処としているホテルに──どこからどう見ても医者が必要な状態で、帰ってきた。


















「………さんじゅう、はちど、ななぶ?」
 涙が吹っ飛ぶ数字だ。
「ん、なんだ……思ったより低いな……」
 そう、気だるそうに汗をかいて前髪が貼りつくらしく、それをかき上げながら彼が言った。狐面は当然のごとくはずしている。
 園樹は瞬時に普段の涙や弱さを封印した。医者の本領発揮だ。
 すこし出てくる、そう言い残してホテルに手足を置いて、彼は朝出て行った。そして帰ってきた夕方、皆が集まる部屋にいつもより心もとない足取りで来て──仮面をはずし、その素顔を流れる汗と赤に染めて──わずかに荒い呼吸でメンバーを見回し、そのまま「寝る」と一言言って去っていった。
 尋常でない様子に、医者の園樹は半ば無理矢理ひきずられ(人類最悪をだいすきな病毒遣いに)、かったるそうにベッドの上に横たわる彼の診察をする事になった。何かを言う気力もないように目を閉じている彼の診察がおわった後、診断は風邪。
 風邪である。
 西東天は風邪をひいていた。
「九度五分くらいだと思っていたが、まぁ……ずいぶんマシだな……」
「あ、朝は、何ともなかった、です、よね……?」
 医者として、しっかりと接する事は患者相手なら普段はできるのだが──相手が何せ、あの人類最悪のせいか、いつもよりはマシだがどもってしまった。
 彼は帰ってきたときから暑そうに着物一枚でいたが、いまは寒いようで、ベッドのなかにもそもそと潜り込んでいく。そうしながら、わずかにかすれた声で答えた。
「ああ……いや、すこし、だるかったかな………憶えてねぇ。知らん。寝る」
「えっ!だ、だめですよ狐さん!」
 いまは季節の変わり目、わずかに肌寒いと感じる日々。
 今日はいよいよ季節が寒い後半期に突入するらしく、彼の着物は夏は涼しそうだが、今日などは寒そうだなと思っていた。
 絶対薄着のせいだ。あきらかにそうだ。
「とりあえず汗拭いて着替えてくださいよぉ……か、風邪、悪化しちゃいますよ、うぅ……」
 ちょっと涙目になる。右下るれろや匂宮出夢ならともかく、こんな慣れない、いっそこわい患者ははじめてだ。
 そもそも園樹は怪我の治療がすきなのだ。風邪とか病気じゃなくて。
「これくらいの熱なら寝てれば治る……」
「これくらい!?」
 だが、ぼそぼそと言いながらシーツのうえに横たわる彼の動きが止まるほどの大声を、めずらしく園樹が出した。
 それくらいの聞き逃せない発言だった。
「これくらいって狐さん、九度近いんですよ!?立派に重い風邪です!重風邪です!」
「はじめて聞いたなその病名……」
「狐さんだって医者だったんですよね、だったら風邪のときは寝るだけじゃなくてやる事が……」
「これくらいはいつも寝て治してた。んな面倒な事は俺の患者ぐらいにしかやらせん」
 そう言ってシーツをかぶろうとする彼を、止める。
 園樹の手はシーツの端をつかみ、普段より力のない彼からその所有権を奪っていた。
「いつもってますます悪いです……!医者の言葉を聞いてください!」
「嫌だ」
「嫌だじゃないです!そ……そんなにあたしの言葉聞きたくないんですか、あたしが医者なんて、そんなの信じられないって、あたしの診断がま、間違ってるって、ひ、ひどい、いくら狐さんだからって……」
 医者として保とうしていた威厳の欠片が木っ端微塵に粉砕されていく。えぐえぐとシーツを握りしめて泣き始める園樹を見て、彼はため息を吐いた。その息も、熱のせいでいつもよりも熱い。
「………わかった、わかったからさっさとやってやすませろ………だるい」
 かすれた声でそう言った彼に、園樹は涙目のまま、それでも顔を輝かせた。
「え、えっと、じゃあ、とりあえず着物脱いでください。それは洗うとして……ホテルの浴衣着てください。温度は布団で調整しましょう。汗拭きますか?あ、あの、女のあたしが嫌なら奇野くんとか……」

「アホ。頼知に任せたら襲われるだろうが、俺が」
 あっさりとそう言って、彼は着物の帯を解く。相変わらず呼吸は荒く、顔は熱に上気して、目元も赤らんでいた。
 ……その様子と、普段の頼知の様子を考えて、園樹は明確な答に辿り着く前に思考を止める。その程度には彼女は賢明だった。
「自分で拭く。タオルと着替え。あと水」
「あ、は、はい」
「飯は食えねぇから……薬はいい。いつも適当に寝てりゃ治ったんだからな」
「でも飲んだ方がいいですよ……お粥、とか……」
「……………」
「……う、うぅ、あ、あたしがつくるお粥なんか嫌なんですか、だ、だったら木の実ちゃんとかホテルのひとに……」
「……………誰のでもいい」
 疲れたように、またため息。着物を脱いでいく彼の肌に傷跡を見て、それにはっとして園樹は踵を返した。あわてて部屋を出て行く。
 廊下には奇野頼知と一里塚木の実がいた。
「俺の狐さんは!?」
「あなたのじゃありませんわ。少々黙ってくださりますか頼知さん?それで、狐さんはどんなご様子なのですか?」
 あわてた様子の頼知を一刀両断して、木の実が冷静に、しかしその瞳の奥に心配の色を湛えて問うてくる。
 園樹はとりあえず、頼知のかなしげな目は置いて、答えた。
「風邪、みたいだよ。インフルエンザとか、そういうのかはわかりませんけど、熱が高いだけみたいだから……たぶん解熱剤を飲んでゆっくりすれば平気だと思う」
「熱高いの!?大丈夫なのかよ狐さん!よし、俺が見舞いに……」
「あ、あの、狐さん、すっごく疲れてるみたいだから、しばらく面会謝絶で……」
 さきほどの人類最悪の言葉が脳裏を過ぎり、扉に突進しようとする頼知にあわてて園樹は言った。嘘ではない。
「熱はどのくらいなのですか?」
「八度七分。でも本人は思ったより低いとか言ってるの……そんなわけないのに」
 園樹の言葉に、木の実は物憂げに息を吐く。
「そうですわね。けれど、狐さんにとってはそうなのかもしれません。狐さん、風邪をよくひいた時期があったそうで。その頃はたいてい九度以上だったと聞きますわ」
「狐さんが、風邪をよく……?」
 どうもしっくりこない。園樹にとっては今回がはじめてであるし、頼知もそのようだ。
 というか、殺しても死ぬ事がなさそうなあの男と風邪が、結びつかないというのが本音だった。
「十代の頃だそうですわ。医者になってからは、何年かに一度かかってしまう程度だと」
「ふぅん……」
 まぁとりあえず、今回にはあまり関係はなさそうだ。しかし、それゆえに風邪をなめきっている節がある──
「じゃあ、えーと……狐さんにお粥と解熱剤渡さなきゃいけないの。あと着替えとタオル」
「よし、俺がお粥つくるぜ!」
「頼知さんはお薬を買ってきてください」
 気合を入れる頼知に、木の実が指示を出す。頼知はがっくりと肩を落とした。勢いで言ったが、料理はできないのだろう。
「わたくしがお粥をつくってきます。着替えとタオル、それに狐さんの看病はとりあえずお願いしますわ、園樹さん。看病途中で交代しましょう」
「うん、わかった」
 そうしてそれぞれ散っていく。
 園樹が着替えとタオルを手に彼の部屋にもどったとき、彼はすでにからだをタオルで拭き始めていた。サイドテーブルにあったものを発見し、使ったらしい。
「お、遅くなっちゃってごめんなさ……」
「ああ、園樹。背中、拭いてくれるか」
「あ、はい」
 浴衣をテーブルに置いて、タオルを手に、背を向けた彼のそばに屈む。
 白い背中を伝う汗を拭く。すぐにおわり、浴衣を渡した。彼が浴衣を着る間に、棚から毛布を取り出した。
「さむいですか?」
「すこし」
 返答に、ベッドのうえに横たわった彼の掛け布団のさらに上に毛布をかけてやった。
「………寝ていいか」
「あ……じゃ、お粥ができたらまた起こします、ね」
「たのむ」
 そう言って、す、と目を閉じる。
 すぐに寝息が聞こえてきて、園樹はしばらくそれを見下ろしてから、額に乗せるための水とタオルを用意し始めた。































 ────何だ、また熱か、
 そんなニュアンスの、あきれたような声。
 それを聞いた気がして目が覚めた。












「………あつい………」
 また、汗をかいていた。時計を見ると、もう日付は変わり、真夜中だった。
 あれから一度起きて、粥を食べ、薬を飲んだ。それから寝直したのだが、寝つきが悪い。
 重くだるい上半身を起こす。その際に、額に乗っていたらしいタオルが落ちた。最初はつめたかったのだろうが、いまはすっかりぬるくなっている。それをサイドテーブルにあった洗面器に放り込んで、その横にあるタオルで汗を拭った。
 目にかかる髪を払い、タオルを放ったところで、気がつく。
 絵本園樹がベッドの傍らに椅子を持ってきて、そこに座りながら眠っていた。
 器用にも寝たままの姿勢で眠る、水着に白衣という不思議とか言いようがない医者。
「…………は、」
 熱い息を吐いて、ふたたびシーツのなかにもぐり込む。その前に、ひとつ余分にかけた毛布は無造作に床に落とした。あつかった。
「………くだらねぇな」
 熱のせいか。
 真夜中のせいか。
 思い出しかける。
 死んでいった人間。
 忘れていた物語の欠片。
「あつい、」
 つぶやいて、彼は目を伏せた。
 まぶたの裏に映った人影は、夢の中にまでついてくる事はなかった。



































「あ」
 翌日の夜。
 ドクターはにっこりと笑った。
「熱、下がりましたね」
「そうか」
「でも念のため、まだ寝ててください。平熱よりちょっと高いです」
「七度くらい」
「寝ててください!」
 園樹に叫ぶように言われ、彼は苦笑混じりに相槌を打つ。
「でも、ほんとに、よく下がりましたね……薬が効いたのももちろんあると思いますが、一日寝てこんなに下がるなんて」
「ああ」
 彼は笑い、自身の頭を一度、ちょん、と指差した。
「ここに、特効薬があるからな」
「え?」
 いぶかしげに首を傾げる医者に、人類最悪は笑う。
「ドクターにはわからねぇもんだ」
「あ、あたしにはわからない、って、そんな、あたしを仲間外れに……」
 また泣き始める園樹に、彼は泣くなよ、と軽く言い、そのままふたたびベッドのうえに横たわって目を伏せた。
 熱も思い出も、傍らの彼女がこぼす涙に溶けて、落ちて消えていった。

















《ドクター》/絵本園樹





ドクターのキャラが違うのは、ええと、患者の前だからですそういう事にしておいてくだ、さい。
風邪ネタをやってしまった…っていうかドリームすぎる、と。すみま、せん、こう、たかしに風邪をひかせたいという、願望が…(だまれ)








html / A Moveable Feast


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送