2005.12.28/「喰べ尽くしてもいいですか」
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「傷、だ」
奇野頼知は驚いて、思わずそんな事を言ってしまった。
いつもかぶっている狐面をはずした男は──西東天は、ん、と振り向く。
「何だ頼知。ノックぐらいしろ」
「え………あ、は、はい、すみませんッ!」
あわてて頼知はあたまを下げるが、男はどうでもよさそうに、ふん、と鼻を鳴らしてまた背を向けた。頼知はちら、と目線を上げて、彼を見る。
頼まれた仕事がおわり、報告のために主である彼の部屋に訪れたのだが、ついつい癖でノックもせずに扉を開けてしまい──そのときちょうど、彼は着替えていたところらしく、いつもの着物を羽織る途中で──
そのとき、見えた後ろ姿。
病的なほど白い肌に、なぜいままで気がつかなかったのか不思議なくらい目立つ傷跡があった。
右肩の辺りに、ざっくりと刻まれている、傷跡──
刃物で鋭く斬られたのだろうか、その傷は振り返った彼を見てみればわかったが、右肩から左胸に向かって斜めに斬ろうとしたところを阻まれて、右胸の辺りで止まっている。ちょうど着物で隠れるほどの傷だ。
それよりもふかく見えるのは、脇腹の傷跡だった。左側に位置している。面積はひろくはないが、ふかい、跡。
「何だ、傷跡がめずらしいのか?」
ん?と首を傾げる彼にはっとして、頼知はあわてて意味もなくばたばたと手を振った。大仰な仕草を、彼はべつに不快を感じたふうもなく見ている。
「ちちちち違いますすみません!じろじろ見ちゃって……」
「ふん。べつにかまわないさ──まぁ、《呪い名》はたしかに、傷を見る事はすくなそうだな。とくに病毒遣いのお前には」
「いえ、だから、あの、そんなわけでは……ただ、」
………狐さんに傷があるっていうのが、意外、でした。
ぼそぼそとそんな事を言うと、帯をゆるく締めながら、彼はそうか?と不思議そうに首を傾げる。
「俺の娘につけられた傷だ。たしか知っているよな?俺と娘が十年前、争った事は──」
「は、はい、じゃあ、そのときの───」
「ま、実質俺はほとんど戦わず、明楽に任せたんだがな」
微笑を浮かべて、彼が言った。
皮肉な──とても皮肉な、もの。
「明楽が死んで、純哉も死んで、俺と俺の娘は死にかけて──俺は素人だったが、死にたくはなかったからな。明楽の武器を使った。俺の娘は純哉に教わった戦い方で俺を殺そうとした。そのときにできた傷だ」
「………そ、ですか」
「触るか?」
「はいぃッ!?」
何だかしんみりした気分になってしまった頼知に、彼は誘うように──実際誘っているのだろう──笑った。
ただでさえ整った顔立ちの彼がそんなふうに笑うと、……壮絶だ。
「触りたそうな顔してるぞ、お前」
「え、あ、あ?」
「ほら」
しょうがねぇというふうに、彼は手を伸ばし、おろおろとする頼知の右手をつかむとそのまま着物の中にするりと手をしのばせた。
ひんやりとした肌に触れて、びくっ、と頼知はふるえてしまう。
「この傷は──明楽が庇った。だから致命傷には至らなかった」
肩から、右胸にかけての傷。
なめらかな肌のなかに、ざらり、とした感触。
これが、傷跡だろう。
人類最悪が人類最強につけられた──父親が娘につけられた。
「当然──かるい傷は痕も残らなかった。残ったのはこの傷と──」
彼に手をつかまれたまま、導かれる。
するりと、自身の手が彼の肌を伝う感触に、ぞくり、としたものを感じた。
「………これだけだ」
ぐい、と引き寄せられて。
ますますちかくなる。
間近でささやかれて、吐息まで感じた。
狐さん近い近い近い!……と心のなかで大絶叫しながら、ひときわ、ふかい──傷跡に触れる。
脇腹のもの。
「これが致命傷だった。この傷で俺は一度死んだ」
「き、狐さ───」
「俺は死んだんだ」
わかるか、そうささやかれる。
「頼知」
名前を、言われた瞬間。
「────ッ……!」
無我夢中で───
手を握り返し、身を乗り出し、
「狐さん、」
呼び返して、
────触れる。
背伸びをしなければ届かない唇。
そこから唇を降下させて、邪魔な布をどかして、傷跡にくちづける。
「………生きて、ます」
手を握りしめたまま、脇腹に傷に触れた。
「狐さんは、生きてます」
それから今度は、左胸の方に唇を寄せて───
「………ああ、そうだな」
彼の鼓動に紛れて聞こえた声は、やさしかったと、そう思った。
傷跡に咲く花
できうるならば私がこの傷をすべて消してしまいたい。あなたを傷つけるものすべて。
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