2006.1.8/「人生できっといちばんうつくしい時間」






『レンが死んだ』
















 めずらしい人物から電話があるものだな、と、いぶかしみながらも通話を受けた。そうして、はい兎木吊です、という電話の決まり文句を答える前に相手はその言葉を発した。
 兎木吊垓輔は開きかけた唇を閉ざし、それを聞いた。
『よーく聞けよ、《害悪細菌》──一度しか言わねぇ。レンの火葬は明日だ。いま家族のなかでの葬式はおわったから──今夜の午後十一時から明日の午前六時まで、レンの遺体がある部屋には誰にも近づかせないようにしておいてやる。場所は──』
 それをいちおう、きちんと脳に記憶しながら──しかし兎木吊垓輔はぽかん、とした顔をしていた。
 何を言っているのだろう?
 言葉の意味を認識しても、その理由が理解できない。
 レン。
 この《街》が言うところのレンという男の本来の名前は零崎双識だ。
 その零崎双識が死んだという。
 何を言っているのだろう?
 兎木吊はただ純粋に不思議な気持ちで首を傾げた。
『その後はもう火葬しちまうから、レンに会えるのはその時間だけだ。じゃあな』
 そう言って、通話は切られた。
 兎木吊はわけのわからない脳を抱えたまま、携帯電話を置く。
 そして時間を見た。現在の時刻は、午後三時。
 とりあえずお茶にしよう、と彼は思った。
 わからない事は隅に置いて、立ち上がる。

























 パソコンをしていたら、気がつくと午前二時時だった。
 兎木吊は白いコートをつかみ、財布も携帯電話も持たずに家を出た。
 歩いていくと二時間ほどかかってしまう場所だと、歩き始めてから気がついたが財布を取りにもどる気にもなれなくて、過ぎ去るタクシーを横目に歩いていった。
 そして電話越しに聞いた《街》──おそらくあの電話は零崎軋識として、だろう──の言葉を思い出す。
 レンが死んだ。
 火葬は明日(もう今日だが)。
 葬式はもうすませたという。零崎が葬式だなんて想像できないが、おそらくひとりひとりが遺体に別れを告げるくらいの事だろう。一般的な葬儀とは違うと、それくらいは兎木吊にもわかる。
 火葬も彼らが勝手にやるのだろう。そして誰も知らない場所に、その灰をひっそりと埋めるのだろう。
 だがそれはすべて、零崎双識が死んだからこそ行われる事だ。
 大前提となるその事実が、兎木吊にはいまいち把握できない。
 彼が死んだだと?
 冗談みたいな話だ。
『また弟を捜しに行かなくてはならなくて。……はぁ?ひとの話聞いてました?人識を捜しに行くんです。あなたにかまってるひまなんてありませんよ。……わかりました、帰ってきたら連絡入れますから。おとなしくしててください』
 だがそれが冗談でなかったら、別れ際に聞いたあんな言葉が最期だというのだろうか?
 普通は、最期の言葉というのはもうすこしロマンチックなものだろう?
 ほんとうはあなたの事を愛していました、とか。
 私の事をずっと忘れないでくださいね、とか。
 そんな事を考えているあいだに──気がつくと彼の事ばかり考えていた──兎木吊は軋識に言われた場所に辿り着いた。住宅街や商店街というものから離れた、人間たちから隔離された場所にぽつんとある建物。扉を開き、足を踏み入れる。中は暗かった。そういえば今夜は曇っていて、月も星も出ていない。昼間はあんなに晴れていたのに。
 目を凝らす。奥からわずかに明かりがもれていた。まっすぐな一本の廊下の向こうにあるらしい部屋、その扉がわずかに開いていた。そこから明かりがこぼれているせいだろう。兎木吊はそれを頼りに歩いていった。靴は脱がなかった。そんな必要はないと思った。
 何の音もしない建物の廊下を歩いていく。響くのは兎木吊の足音だけだった。それと呼吸の音。ついでに心臓の音。
 兎木吊は扉を開いた。室内に入り、そして後ろ手に閉めながら、そこだけやけにあかるい部屋に目を細める。
 急に闇からひかりのなかに入ってしまった事もあるが──そのたいしてひろくもない真っ白な部屋、そこにいる彼≠見たせいだった。おそらく──きっと、そうだった。
 たったひとつの窓はカーテンで遮られていて、そのそばに置かれたベッドに彼はいた。
 白いシーツを肩までかけて、眼鏡をかけたまま。いつもの黒いスーツだと、シーツからかすかにのぞく肩を見て、それを悟る。
 目を閉じて、口はわずかに開いていた。呼吸のためだろう。兎木吊はそう思いながら歩み寄り、ベッドの傍らに立つ。
「双識くん?」
 彼の返事はない。
 ふかいふかい眠りに落ちているようだった。
「双識くん」
 彼はときどき、とてもふかい眠りに落ちる人間で、そういうときは殺意≠ナもない限り兎木吊は彼を起こせなかった。当然彼に対する殺意など、兎木吊にはない──だから兎木吊は、たいてい触れた。さすがに零崎、触れれば、彼は目覚めた。
 兎木吊はいつものように彼の頬に触れた。
 いつもはつめたい兎木吊の手に目を開いて文句を言う彼は、けれど目を閉じたままだ。
 さらに驚く事に、彼の頬は兎木吊の手よりも冷えていた。そんな事ははじめてだった。
「…………」
 不意に思い立ち、兎木吊は頬から手を離し、その手でシーツを握った。
 そして、ばっ、と彼のからだから払い除けさせる。見もせずに後ろに放り、それがぱさりと落ちる音を耳から遮断しながら、兎木吊は見た。
 彼はスーツを、ほんとうにいつものように着込んでいた。
 ただひとつ、いつもと違うのは──その右手には、彼の《自殺志願》があった。
 握っているわけではない。
 ただ、それに触れている。
「ああ───」
 兎木吊はそれを見た瞬間に悟った───
「双識くん、」
 は、と、かわいた笑みがこぼれる。
「きみは──死んだんだね」
 言葉にした瞬間、がくんっ、とからだから力が抜けた。
 右手でベッドの端をつかみ、倒れ込む事を避ける。それでもつめたい床に尻餅をついてしまって、けれど兎木吊にはそんな事はどうでもよかった。
「は───はは」
 笑う。
「何だよ──きみ──死んだのか──双識くん──死んだんだ──」
 彼は獲物を兎木吊に見せる事は決してなかった。
 はじめて見た、噂の鋏≠ヘ──とても、彼に似合っていた。
「死んだんだね、双識くん、ああ──そうか──死んだんだね」
 兎木吊は笑いながら繰り返す。
 床に座り込み、右手でベッドの端をつかんだまま、横たわる彼を見上げた。
 彼の死体を。
 彼の遺体を。

















「俺を残して死んだのか、双識くん」
























 何も言葉を残す事なく、
 どの想い出も記憶も連れ去って、
 帰ってくる事なく死んだ。





















「泣いて、しまいそうだな……」
 冗談のように笑って言って、実際にそれは冗談でおわった。

























 兎木吊は午前六時に部屋を出た。座ったままずっと彼の傍らにいた。出て行くときは振り向かず、廊下を歩いて扉を開け、建物の外に出たときに声をかけられた。
「おい」
 振り返ると、建物の壁に背をあずけて、零崎軋識が立っていた。
 零崎軋識だった。
 蠢く没落でも、《街》でも、式岸軋騎でもなかった。
 彼は武器を持っていた。軋識の横に壁に立てかけられている。
「あの鋏」
「あ?」
「あの鋏、双識くんの遺品として俺にくれないかな?」
「家族じゃないお前にそんな事はできない、それにあの鋏についてはもう後継者は決まってる。火葬の後にそっちにおくられる」
「残念だ」
 軋識は黒いスーツを着ていた。喪服だろう。兎木吊は見て、それから笑った。
「何笑ってんだ?」
「いや──俺は白だな、と思って」
 兎木吊は笑う。
「まぁいいか。黒は嫌いだ」
 そして背を向けて、歩き出して──数歩で止まった。
 思い出したように振り返る。軋識は動く事なくそこにいた。
「なぁ」
「んだよ」
「キャラ作りとやらはいいのかい?──と、まぁ、それは置いといて。どうして俺を呼んでくれたんだい?きみらしくないやさしさを見せてくれて、俺はその内容にくわえ驚きっぱなしだよ」
「レンはすくなくともお前の事好きだったみたいだからな──忌まわしい事に。レンのためだ。とっとと失せろ、他の皆が来る前に。部外者を見たら、いまの皆は殺すかもしれねぇぞ」
「それもいいかもね」
 いつものように笑って答える兎木吊に、軋識は眉をひそめた。
 兎木吊は肩をすくめて、最後に、と言った。
「きみたちは復讐するんだろう?」
「もちろん」
「成功するといい。心から願っている」
「………何をいきなり」
「俺も何かを壊したい」
 兎木吊は背を向けて、ひとりごとのように言った。
「いまはそういう気分だ。壊したくて壊したくてしょうがない──世界のすべてを壊したい。いまならば彼女がたとえ望まなくても、世界を壊してしまえそうだ。壊してしまいたくてしょうがないよ」
 軋識は答えなかった。
 黙って彼の独白を聞く。
「壊したいな。壊したい、壊したい。壊したくてたまらない。何か壊せるものがあったら俺に寄越してくれ零崎軋識くん。何だって壊してあげよう、いまの俺は永遠に続くだろう──すべてを壊すよ、壊して壊して壊して、壊したものをもう一度壊して、そうして壊すよ。すべてを壊す」
「………もう行くんだっちゃな、《害悪細菌》」
 軋識はいつものように言った。
「ただ自分は壊すなよ。レンは──自ら壊れた兎木吊垓輔なんて望まないだろうからな、……っちゃ」
 そして零崎軋識は建物のなかに入っていた。
 兎木吊垓輔はその音を背中に聞きながら、その場に立ち尽くす。
「…………ああ、」
 彼はつぶやいた。
 そうしてたった数秒間だけ、その狂った笑みを消した。

























「さよなら、双識くん」
 あいしているとは言わなかった。
 聞く人間が、もうどこにもいないからだった。










10秒の恋





私はその時間だけしか、あなたを愛してあげられなかったのでしょうか。






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