2006.1.9/「聞いてあげるわ、あなたのかわいそうな言葉を」






 ほんとうにときどき思う。稀に、という意味だ。奇野頼知はこのままふたりで逃げれたらいいのになと考える事がある。ふたりとはもちろん、奇野頼知と西東天の事だ。
 たぶんそんな事は一生かなわないだろうし、頼知がいくら望んだところで、彼が決してゆるしはしないだろうが。

 それでもときどき、どうしても、思ってしまう───






 俺だったら絶対狐さんをかなしませねぇ。
 絶対しあわせにしてみせる!!
 だから狐さん、ふたりでどこか遠くに行ってしあわせに暮らしましょう。






 ……たぶんそんな事を実際に口にすれば、バカじゃないのかお前、で一蹴される事間違いなしだ。
 おそらく他の十三階段の面々が聞いてもおなじ感想を抱くだろう。脱力とともに。
 しかし奇野頼知は真剣だった。真摯すぎるほどにまじめで、何度か本気でその方法を考えた事がある。
 世界のおわりや物語のおわりなんてどうでもいい。
 頼知は彼といたい。
 べつに、世界がおわってほしくないというわけではないのだ──たとえばその瞬間、彼のとなりじゃなくてもいいからそばにいられたら(できればとなりがいいけれど)、そしてそれが彼の手による世界のおわりなら、きっと頼知はとてもうつくしいものを見る事ができるだろう。そんな確信があった。
 それとは別次元で、頼知は彼と逃げたいな、と思う事がある。
 逃げる──という表現は、とてもとても適切だろう。
 仮に、もし仮にそんな事が起きれば、まず一里塚木の実は追ってくるだろう。あれだけ彼に心酔、恋している彼女の事だ。よく知らないが、けっこう長い間らしいし。
 右下るれろや澪標姉妹もまた然り──まぁ、他はわからないけれど。しかしまずあの澪標が追ってくるという時点でアウトだ。頼知は彼女らに勝てる自信がない。……いろいろな意味で。
 狐さんへの愛は勝ってるけどな。
 そう頼知は意味もなく、ひっそりと心のなかでだけ主張し、それかけた思考をもどす。
 そうだ、ただ彼といっしょにいたいなと思うだけなのだ。
 ただの衝動。理性も何もない直情。
 言葉にする事はゆるされない夢想。



















「………何か俺に言いたい事でもあんのか」
 ため息混じりの声に、奇野頼知はあわてて意識をもどす───
 西東天が目の前にいた。そうだ、彼に呼び出されて話を聞いていたのだ。話が途切れたところで不意に、思考に沈んでしまった──いけないいけない。
「な、何がですか?」
「何がですか。じゃねぇよ──言う事ないなら黙って俺を見るな。まばたきもしてなかったぞ、お前」
 狐面をかぶったままの彼にそう言われて、頼知は内心あわてる。しまった、彼の事を考えていたせいか、意識が離れても彼を見ていたらしい──彼が不審がるのも無理はない。
「あ、な、何ていうかその──ちょっと考え事しちゃって!ですね……すみません」
「考え事?」
「はぁ、こう、将来の希望的観測を」
「………何が何だかさっぱりだな」
 そう言って肩をすくめる彼に、頼知は苦笑のようなものを返す。
 こちらから言えば彼は頼知の言葉を聞くだろう。
 だが彼は頼知の言葉を自ら聞こうとしない。
 彼は興味のないものには、ほんとうに、ない≠フだ──頼知はそれこそ稀に、彼の興味をひくものを持っているときがあるが、たいていはない。
 カードがはじめからすくなすぎる。
 勝負にならないのだ。
 彼の勝ちはもう決まっている──ジョーカーのようなもの。
「頼知」
 また思考に沈みかけて、黙り込んでしまった頼知にあきれるように、彼が声をかけた。
 その声がすこしだけやさしい気がして──きっとそれは頼知の勘違いだったが──顔を上げる。
 狐面をかぶっていたので、どんな表情なのかはわからなかったけれど、彼は──笑っているようだった。すくなくとも頼知には、そう思えた。
「お前が話さないなら俺が話すが」
「え、あ、はい、どーぞ」
 ほとんど反射的にそう言うと、彼は満足そうにうなずく。
「俺はけっこう、こういう時間が好きだ」
「………へ?」
 こういう時間って、いま、頼知とふたりで話しているこの時間の事──しか、ないだろう。
 え、何、告白……?
 勘違いに突撃しそうになる頼知の思考は、彼の言葉に引き戻される。
「こういう時間、さ──ただ、俺と縁ができた奴と話す。どうでもいい話をな。その相手との縁が明日切れるものでも、一生続くものでもどちらでもかまわない──世界のおわりも物語のおわりも関係ねぇ。ただただそいつと時間を過ごすだけの、真っ白な時間。こういう時間を俺はひどく愛している」
 物語にはまったく関係のない、ある意味無駄ともいえるこんな時間。
 それがいとおしいと彼は言った。
「俺は、だからこの世界が大好きだ。ひとりとしておなじ人間がいない、出会う人間がひとりひとりとんでもないものを持っていやがる。おもしろい。ほんとうにおもしろい世界だ、ここは───」
 まるで独白のように語られる言葉に、頼知は何も返せない。
 彼のこういう話はよく聞いていたけれど──何だか今日は、いつもと違う°Cがする。
 何が違うかと問われればわからない。
 ただ確実に、───違う。
「この世界に生まれた事を幸福に思う。お前はどうだ、頼知。お前はこの世界をどう思う?」
「どう思うって……」
 問われて、考える──そんな事を問われたのははじめてだった。この世界をどう思う、だなんて……そんなのは彼の言葉を聞く事だけで充分だった。それが頼知の答というわけではないけれど、それだけでよかった。
 だから考えた事もない。
 この世界。
「───狐さんが、いまの俺の世界ですから」
 ぽろり、とこぼれる。
 自然に口から発せられた言葉は、けれど音になると妙に納得させるものがあって、頼知はひとりうなずいた。
 そう、これが正解だ。
「うん。だから最高っすよ」
「………そうか」
 彼はうなずいただけだった。
 そのまま黙り込んでしまって、頼知もつられて沈黙してしまう───
 そこで、気がついた。
 ───なるほど。
 今日、たしかに彼は違う>氛氛
 頼知の言葉を聞こうとしている。
 おそらくただの気まぐれで、数秒後にはそんな気はなくしてこの部屋を出て行くかもしれない。話を聞いたとしても、明日の朝起きれば忘れているかもしれない。
 ただ今日はきっと、彼の言うところのこういう時間≠いとおしむあまり、相手の言葉を聞こうとしているのだろう。
 ならば、いまならば。
 あの言葉を言ってもいいだろうか。


















 あなたといっしょにいたいと。
 あなたとふたりでどこかに逃げたいと思うときがあると。


















 意味のない、まったく意味をなさないであろうその言葉を発する事を──ゆるしてくれるだろうか。
 この世界のどこかに。
 狐さんが大好きなこの世界のどこかに。
 狐さんの世界のどこかに。
 ふたりで、逃げたいだなんて、ただの幼い夢物語を。
 ずっとそばにいたいなんていう、かなわない、冗談のような、本気の願いを。
 いまなら、何も言わずに笑ってくれる気がする。
 バカじゃないのか、なんて、そんなふうじゃなくて、
 ただおだやかに狐の面の向こうで笑ってくれる気がする──
「───狐さん」
 あ、でも、怒られるかな。
 大丈夫かな。
 不安に思いながら、それでも開いてしまった口を閉じれるはずもなく、
 かっこわるくかすれた声を出した。
 彼は黙っていた。
 きっと──頼知の言葉を聞くために。
「俺、」










そんなこといったら怒られるかな





答は神のみぞ知る。






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