2006.1.18/「あなたを愛するこども」
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西東天は合わせた手を重力に任せて下ろし、それからもどるようにして腕組みをした。その動作の間に顔を上げ、下ろしていたまぶたも上げる。
そうして顔だけ横に向けた。
赤色の女が歩いてくるところだった。
彼女は形容しがたい、とてつもなく嫌そうな顔をし──それを隠そうともしないまま、それでも早足に歩み寄ってきた。仕方ないというように彼のとなりに立ち、本来の用事であった彼の眼前にあるものをおなじように見据える。
哀川潤。
人類最強が人類最悪と並んで見ているのは、墓石だった。
ちいさな墓地の、ちいさな墓石。
汚れてはいないが、きれいでもない。食べ物も線香も供えられていない墓石には、墓碑銘さえ刻まれていなかった。
ただの墓石。
その墓前に、ほんのすこしの良心がはたらいたかのような、白い花が数本、あった。
彼女はその花に憶えがあった。
先日、となりに立つ男が持っていた花だと思い出す。
「新しく買った」
あの花は結局、また咲き誇ったのか──万が一にもないだろうが──その問いを口にするかどうか逡巡するその一瞬に、彼が答えた。
彼女は彼に向きかけていた視線をそらす事で返事をした。
「いーたんはてめぇを殺さなかったんだな」
心底残念そうに、彼女が言う。
彼女の手には何もなかった。墓に何かを捧げる気はないらしい。
「ん?いちおう死んだんだが」
「生きてるじゃねぇか」
「それでも死んだ。しぶとく生きている、それだけさ」
狐の面はない。
この墓前にあると思っていたのだが、燃やしたのだろうか?
彼女はそう問おうとして、結局やめた。
「なぁ」
そして、違う問いを口にする。
「あたしを憎んでねぇのか?」
彼が墓石から、彼女に視線を移す。
その視線を受け止めて、彼女は自分でも幼いと思える質問をした。これを訊けるのは、もう彼しかいなくて、そして何より、タイミング≠ヘいましかなかった。
一度失敗した彼女には、それがわかっていた。
「あたしは、架城明楽と、藍川純哉と、てめぇを殺した」
名前の刻まれていない墓は、十年前、彼女が殺したふたりの父親のものだった。
その名を口にして、しばらくまつ。
彼は答えるように、墓石に視線をもどした。
「愚かな問いだな」
どうでもよさそうに言う。
「ならば俺はこう問うしかねぇな──潤。お前はなぜ、俺と再会したいま、殺そうとしない?」
「………………」
「タイミングを逃した=B俺の敵から聞いた。だがな、十年前ならまだしも、現在人類最強であるお前ならば──タイミングなど、いくらでもつくれるだろう。いま、俺には何もない。手足もいない、俺という二度死んでなお生きている人間がいるだけ。殺すのは簡単じゃねぇか」
「はぐらかすんじゃねぇよクソ親父」
彼女は苛立ちをだんだんと言葉に滲ませていた。
苛立ち以外の感情も含んだ、とても曖昧で、複雑な声音。
「あたしはてめぇを殺せない。それがすべてだ」
人類最強の視線を、今度は受け止める事なく、人類最悪は墓石を見ている。
親友と同類。
死体を埋めるためにつくった墓。
ここに来るための、墓。
「てめぇはあたしに殺された事も、藍川純哉の死も、そこまではゆるせる範囲かもしれねぇけど──それでも、架城明楽は」
息をひとつ吐いて、続ける。
「架城明楽を殺した事に関しては──あたしを、ゆるしてないんじゃねぇのか?」
青い空の下で、しばらく沈黙がふたりを守る。
静寂は、彼女が覚悟した以上の時を経た後、破られた。
「俺の腕の中で、明楽は死んだ」
告白のような言葉。
「恨みや憎悪。断罪とゆるし。俺にはそんな感情はもとからねぇよ、俺の娘」
彼は薄く笑った。
それはとなりに立つ、彼の娘がよく浮かべるような、シニカルな微笑。
「ただひとつだけ、問いたい事があった」
「………何だよ?」
彼はすでに墓石を見ていなかった。
そこよりもはるか遠い場所を見ている。
そこがどこか、彼女にはわからない。
「それもすでに十年前におわっている話だ」
彼はそう答え、彼女に答える事はついになかった。
やがて何も言わずに彼女が去り、彼は最初のように、ひとりでその場に残された。
墓石を見る。
「………俺たちの娘は相変わらずだよ」
そして、
誰も見た事がない微笑を浮かべて、
「明楽をようやくそちらに送れた。俺が行くまで、純哉とふたりで喧嘩でも何でもしていろ」
ささやくように言った。
「俺をまっていろ」
白い花は、枯れる事なくうつくしく咲き誇っている。
「ねえ、
あの子は枯れてしまったの?」
否定もせずに笑っていたあの頃。
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