2006.1.20/「あたしとあなたが在り続けた楽園」






 何を言っているかわからないが必死さだけはうかがえた。
「ひひゅへひゃんっ、ふへほふほっ!」
 拘束されている少女は、両腕が使えない。
 だから当然、何かを持ち運ぶとき、彼女は口を使うしかなかった。
 なので、彼女が口にくわえ、それでしゃべれないのはわかる。原因はわかる。
 だが西東天には理由がわからなかった。
 匂宮理澄は、白い花を口にくわえて、それを彼に必死に差し出していた。
 狐面越しに、彼は探るようにその様子を見る。
 ぐいっ、と顔だけ何度も前に突き出されるという事は、やはり受け取れという事だろう。
 彼は仕方ない、とため息を吐き、その花を受け取ってやった。
 うれしそうに顔を輝かせる彼女に、口のなかのものを吐いておけ、と言っておく。理澄はもごもごと口内で何かをかき集めてから、ぺっと吐き出した。唾液と緑の草の欠片が道端に落ち、溶けた。
「えへへ!さっき持ってきちゃったんだねっ!狐さんに似合うと思ったんだねっ!」
 いま頭上に浮かぶ太陽よりもまぶしい笑顔でそう言う彼女には何も答えず、彼は手にある白い花をじろじろと眺めた。
 ふたりは人気のない田舎道を歩いていた。さっさと歩く彼を、理澄はあわてて走って追いかけていたが、そのうち足音がしなくなって、いぶかしげに振り返ると彼女ははるか遠くでしゃがみ込んで何かをしていた。
 仕方なく呼びかけると、あわてて立ち上がって走り寄ってきて、冒頭にもどる。
 どうやら理澄は、道端に咲いていたこの花を奪ってきたらしい。
 当然口で毟り取るようにしたのだろうが、どうにもならない根元を除けばきれいなものだ。
 細い緑の茎に、とてもちいさな白い花がいくつかくっついて咲いている。合計で十本ぐらい。どこにでもあるような花は、いまが満開の時期なのか、誇らしく可愛らしく咲いていた。
 ちいさいながらもうつくしい花を見ながら、彼は不意に眉をひそめる。
「………俺にこれが似合うだと?」
「はいっ!」
「……………」
 ちいさいながらもきれいに咲くいくつもの花。
 彼にはいまいち、理澄の感性がわからない。首を傾げ、しばらく道の真ん中に立ち尽くした。理澄はにこにこと笑い、彼を見上げている。言葉をまっているのだろう。
 まったく通行人のいない道。
 いまは帰り道だった。《十三階段》のメンバーーの勧誘の帰り。
 彼の車は現在、不幸の事故により修理中で、仕方なくこんなところまで徒歩で来たのだが、ここに来るまでに三時間近くかかった。
 その計算でいくと、あと一時間ほどで交通手段のある場所にまで帰れるはずだ。
 ………一時間もこれを持って歩くのか。
 彼はしばらく眉をひそめ、悩んだ。
 ぶっちゃけ無言のままに捨てていきたい。
 だがそんな事をしたらまたぎゃーぎゃーと騒ぐだろう。しかも泣くかもしれない。
 女は泣かせると厄介だという事を、西東天は知っている。
 泣かせたら置いていくという手段もあるのだが、先日それをやった後彼女の兄に比喩ではなく殺されかけた。間を置かずそんな事をやるのは頭が悪すぎるだろう。
 延々と思考をめぐらせて、やがて彼は口を開いた。
「………理澄」
「はいはいっ!」
「花の世話はお前がしろよ」
 ぽかんとした表情になった理澄を視界の最後に入れて、彼は踵を返してさっさと歩き始めた。
 しばらくして、あわてて追いかけてきた理澄がとなりを並ぶ。そして忙しない様子で、目をきらきらさせて見上げてきた。
「もらってくれるんですか狐さんっ!」
「まぁな。けど世話はお前が」
「ありがとうございますだね狐さんっ!うれしいっ!狐さん大好きっ!」
「おう」
「捨てないでくださいねっ!あたし、一生懸命お世話しますからっ!」
「わかったわかった」
 普段よりも倍近くハイテンションな理澄に適当に受け答えしながら、彼は手の中に握る白い花をちらりと見た。すぐに前を向く。とくに気遣いもなく握り歩を進めているので、ときどき花弁がはらりと舞い、落ちた。
 その様子に憶えがあった。
「理澄」
「はい?何ですか狐さんっ?」
「この花の名前はわかるか」
「うーん……わかりませんです。今度調べますかー?」
「いや」
 かまわねぇ、とかぶりを振る彼に、少女は太陽よりもまぶしい笑顔で言った。
「やっぱり狐さんに似合うんだねっ!」
 そうかよ、そう答え、花を想う。
 花弁がひとつ落ちる度に、何かをなくしていく錯覚を憶えた。
 花などひさしぶりに見たし、触れるのなんてなおさらだ。
 思い出しかけた花の想い出は、きっともうずっと前の事で、きっかけでもなければ思い出せないだろう。どうでもいいと、彼は思考を閉じた。
 ───この花の名前をつぶやいた人間の事も、
「……おい」
「何ですか狐さん?」
「この花まさか私有地からとってきてねぇだろうな」
「そんなの見てませんっ!」
「……………」
 思い出す事は放棄して忘れたまま、とりあえず殴っておいた。




















 いつかこの花も枯れて死ぬだろう。
 それでもずっとずっと咲かせてみせると、少女が笑ったのは、夏が近い春の日だった。










この白い花の名前を
思い出せない





思い出す前になくなってしまったあの頃。






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