2006.3.1/「白昼夢」






「俺、狐さんは運命の人だって信じてます」
 いきなり真顔で言うものだから、西東天は笑わずにはいられなくて、噴出した。
 となりを歩く奇野頼知は、そんな言葉のない返答にむっとした顔をする。
「何ですか。笑う事ないじゃないですか!」
「笑わずにいられるかよ、」
 くく、とまだ低く笑いながら、今度は言葉として返す。頼知は不貞腐れたように唇を尖らせて、足元にあった小石を蹴った。そのこどもみたいな動作に、また笑ってしまう。
 ふたりの前後には長い道が続いている。
 田舎道で、道の両側には畑や緑が見える。道の果ては見えない。いつかも手足のひとりとこうして歩いたな、とふと人類最悪は思い出した。
 彼女もいなくなってしまったけれど。
 彼とおなじように。
「おかしな奴だな」
「狐さんがおかしくさせるんですって。俺、ほんとはもっとかっこいいんですよ。これマジな話」
「口説き文句にしてはぬるい」
「えー」
 でもこれが精一杯ですよ。
 そう言ってから、頼知は考えるようにむー、と黙り込んだ。口説き文句、とやらを考えているのだろう。ほんとうにバカな奴だなと思った。笑いながら思う事で、それは悪口ではない。
「運命の人、ね」
 頼知の言葉を繰り返し、つぶやく。落とした言葉の意味はあまりにも不似合いで、笑うしかなかった。だが頼知は変わらず真剣な調子で言葉を紡ぐ。
「そうですよ。狐さんは俺の運命の人です!これは絶対、間違いない!」
「なぜそう言い切れる?お前がそんなロマンチストだと記憶してねぇんだがな、俺は」
 そう問うと、頼知は目をぱちくりとさせた。
 そして、晴れやかに笑う。
 弾けるように、明るく。
「そんなの当然じゃないですか」
「ん?」
「だって俺、狐さんほど愛せるひと、これまでもこれからもいないですもん」
 いまさらな事を言う、頼知はそう笑い、西東天を見上げた。
 すでに狐面をつけていない男は、おなじように頼知を見ていた。その目が細められて、微笑のかたちになるまで、すこしの時間を要したが。
「……いい口説き文句だ」
 つぶやいた言葉に頼知が何か返事をする間を与えず、彼は言葉を続ける。
「お前みたいな手足は、ほんとうに貴重だ。だから……残念だ」
「貴重って……《呪い名》だからですか?」
「いいや。俺にここまで忠誠を尽くせる人間はそうそういねぇ、って事さ」
 これまでもこれからも、と、頼知の言を真似て言う。
「ここ最近の手足だと、真心は例外として、ノイズは忠誠心なんかなかったし、澪漂の姉妹はあったはあったが最終的に他所に行っちまったしな。濡衣は俺の他にあるじがいたわけだし、時刻は俺を裏切った。頭巾は忠誠なんてものの前に死んじまって、九段なんか裏切りは十八番ってやつだ。園樹も自ら手足となってくれているわけじゃねぇし……るれろはまぁ、裏切りかけた≠ェもどってきてくれた。だから木の実とお前ぐらいさ、最初から最後まで何の躊躇もなく、俺に尽くしてくれたのは」
 どこか遠くを──青く広がる空を──見ながら、彼は語る。
 口元に刻まれたわずかな微笑の意味は、彼本人にもわからない。
「出夢はそんな事なかったが、理澄はまだ尽くしてくれた方だな。だが死んだ。かつて俺に協力した木賀峰や朽葉も死んだ──木賀峰なんかは、俺を信じきっていためずらしい女だったのに」
 そこで一瞬彼は、言葉を止めた。
 次に吐き出された名前のせいだと、それはちゃんと理解できる意味を持っていた間だった。
「純哉も明楽も死んだ。貴重な……ほんとうに貴重な、奴らだったのに」
「………狐さんは」
 しずかな声で、頼知は独白に近い事を言う男へ、つぶやく。
「自分に尽くしてくれる人間は、貴重なんですね。みんな裏切ったり、死んじゃったりするから」
「そうだな。そういう事だ」
「俺、その中には入りたくなかったんだけどなぁ」
 こまったように、頼知は笑う。
「だってそうなると、いまの話から考えても、木の実さんの一人勝ちですよね。悔しいっすよ、俺」
「ああ……お前は裏切りはしなかっただろうからな。だが仕方がないだろう、俺の前から縁≠フできた人間がいなくなるのは、裏切るか死ぬか、そのどちらかがほとんどだった」
「ほとんどの中に入らなかったのは、明楽さんだったんですね」
「そうだ。だが明楽も死んだ」
 そこで、あ、と思いついたように彼は頼知に視線をもどした。
 おだやかに笑って、見上げてくる忠実な手足に命じる。
「頼知。最後の命令だ」
「───はい」
「もし明楽と会う事があれば、お前が見てきた俺と俺の敵の事を話しておけ。世界のおわりを見るために俺がした事、お前が知るそのすべてを話せ」
 バカらしい話だがな、と、彼は笑った。
「会えたら、の話だ。神なんぞ信じていねぇが、もしかしたら、という事もある──このおもしろすぎる世界の事だからな」
「………でも俺は、途中までしかわかりませんよ?その話の最後を、俺は知りません」
「それでいい」
 その理由も最後まで言わず、彼はうなずくだけだった。
 そしてまた空を見上げる。
 頼知もつられるように、彼の見る青を見た。
「そうだな、最後に──土産をやろうか、頼知」
「え?」
「俺はお前を愛してやれなかったが」
 頼知の方は見ずに、告げる。
「お前の事を信じていたよ。お前は俺についてくると、裏切らないと、信じていた」
 目をぱちくりとさせて、頼知は空から彼の方へと視線をもどした──だが彼の目は空を見据えたまま。
 頼知に向けられる事はなかった。
「………やっぱり狐さんは、俺の運命の人だと思います」
「まだ言うのか」
「そう信じていますから。俺も」
「俺はそう思ってねぇぞ」
「わかってますって。とにかく俺は信じてます。狐さんが運命の人だって、だから、」
 頼知も彼から目をそらした。
 最期に焼きつけた彼の姿は横顔で、さみしいと、すこしだけ感じたけれど。
「残念だって言ってくれて、すごくうれしいです。信じてくれて、すごくしあわせです」
「そうか」
「はい」
「……ほんとうに貴重な手足だった。お前ほど尽くしてくれる人間は、もうこれから先出会わないかもしれねぇな」
「へへっ、狐さんへの愛は、誰にも負けない自信ありますからね、俺!」
 誇らしげに言って、頼知はその調子で胸を張った。
 それから、彼の見る先を見た。頼知には青しか見えなかったけれど──彼には、その先が見えるのだろう。











 それを見たかったと思った。
 運命の人だと、バカみたいに信じていたから、そう思った。











「………見たかったな、狐さんと、世界のおわり」
 愛する彼の愛する世界のおわり。
「でももう見れないんですね、俺は」
「ああ」
「だから俺」
 頼知は笑った。




















「死にたくなかったなぁ」









































 果ての見えない田舎道を、彼はひとりで歩いていた。
 狐面のない彼の素顔は無表情で、ただ前を見ていたが、ふと、空を見上げた。
 青ばかりが広がる空に目を細めて、やがてひとりでちいさく笑う。
「じゃあな」
 ようやく言えた別れの言葉に、彼は清々しい気持ちになって、ゆっくりと歩いていった。









最期まで空を見ていなさい





そこにいるあなたへ、最後の別れとして手を振るよ。






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