2005.12.30/「何度も何度も何度も」






「嘘」












 零崎双識は茫然と──いっそ愕然と──むしろ絶望的な──そんなひとつの単語を起き上がるなりつぶやいた。つぶやかずにはいられなかった。
 もしかして、また、やってしまったのか?
 またやってしまったのか?
「………何に対してそんなに蒼白になっているのかわからないけれどとりあえず嘘ではないと思うよ、俺はきみの言葉を否定しておく。そうするとたいてい正解だからね」
 聞こえた声に顔を上げる。ひとの気配にはもちろん気がついていたけれど、気がつかないふりを通したかった。しかし、お世辞にも性格がいいとはいえない彼がそんな事を察してはいてもゆるすわけがない──
 部屋──恐ろしい事に寝室──の出入口である扉に寄りかかるようにして彼が立っていた。しっかり服は着込んでいる。
 兎木吊垓輔。
 片手にコーヒーを持っているところから、さきほど起床して煎れてきたのだろう。──いやそんな事はどうでもいい──
「あ、の」
「ん?」
「俺、じゃない私の、服、は」
「洗濯出したけど。汚れてたから」
「………帰れないじゃないですか!」
「えー、だってきみだって嫌だろう、あんなに皺くちゃで汚れたスーツで帰るの」
「何で汚れ……いえやっぱ嘘です気にしないでください」
「だからほら、俺がこうきみを」
「黙ってくださいって言ったんですけど」
「こわいなぁ」
 そう、いつものように笑う兎木吊に、双識はからだにかけていたシーツを握りしめる。
 恐ろしい事にいま双識はベッドのなかに潜っているからまだいいものの──身につけているのはワイシャツ一枚と下着だけだ。近くになぜかネクタイが転がっているが、それは気にしない事にした。気にしない方がいい。
「どうしよう……みんな大丈夫かな、連絡してないし……」
「いや、みんなけっこうな大人だから大丈夫……というかいい大人が一日外泊したくらいで騒いだりはしないと思うよ。あ、でもあいつはするかな」
「あいつ?」
「えーと……そうそう、零崎の名前だと、軋識、だっけ?」
「アスこそ大丈夫だと思うけど」
 でもまた人識は目を離したら放浪しちゃうし舞織ちゃんはよくわかんないけど怒るしアスはちょっと不機嫌だけどまぁ……などとぶつぶつ言う双識に、兎木吊は吐息混じりに微笑し、歩み寄った。
 ベッドの脇に立ち、コーヒーを飲みながらまだベッドで上半身を起こしたままの態勢の双識を見下ろす。
「ま、ゆっくりしていくといいさ。一泊したらここに半日いてもそんなに変わらないだろう?」
「いえ変わります!そんなわけで帰りますお世話になりまし」
 た。言葉の途中でベッドから降り、歩こうとしたところで、言動ともに途切れた。
「………危ないな。辛うじて無事なワイシャツにコーヒーがこぼれるところだったよ」
 気がつくと兎木吊の左手にからだを支えられていた。
 ───足腰に力が入らない。
 原因も理由も極力考えないように思考をシャットダウンし、双識は苛立ち紛れに毒づいた。
「すこしは手加減しろよ……!」
「いや、最後の方なんかきみが乗り気で俺がやめようとしたらしがみついて」
「死にたいですか」
 コーヒーカップを奪ってそれで殺す事ぐらいはできる。真剣にそんな事を思考している瞳でにらみつけると、兎木吊は相変わらず笑ったまま言った。
「そうだね、昨夜はちょっと死にそうだった」
「………このセクハラ親父!」
「きみの言うところのアス≠ニそんな年齢は変わらないはずなんだけど。傷つくなぁ」
「もういいです離してください」
 遮るように言い、双識は兎木吊がその頼みを聞いてくれる前にからだを離した。ふらつく足取りながら、ネクタイを拾って背を向ける。
「どこに行くんだい?その恰好で外に出る事はおすすめできないな。刺激的すぎるよ」
「服を貸してください。帰ります」
「べつにいいけどね。あ、眼鏡は?」
「いりません。捨ててください。もうここには来ませんから」
 ついでのように言われた最後の一言に、コーヒーを片手に、兎木吊は答える。
「先週もそう言っていたね。そのその三日前も。その十日前、二週間前、とんで一ヶ月前、その前日も」
 双識の足が止まる。
 ふら、とした足取りと、扉にわずかに体重をあずけた事から、それは彼の意思か、それともふらついたためか──判断はできなかった。
「そして毎回そう言っている割に何かを置いていく。次に会うときに俺が渡すのを何も言わずに待っている」
「自意識過剰ですね」
 背を向けたまま、双識は言った。
 わずかに笑いを含んだ声。
「私はいつも、ここに来たくないんです。そこのベッドで目が覚めるのが嫌だから」
「それでも来るという事は自惚れてもいいのかな?」
 双識は振り向いた。
 ふたりの視線が合い、ふたりとも笑っていた。
「………もう来ませんよ」


















 ぱたん、と扉を閉めて、
 その閉ざされた扉と遠ざかっていくしっかりとした足音を聞きながら、兎木吊はコーヒーを飲んで、笑った。










僕らは飽きる事なく繰り返す





駆け引きにも満たない、あまいコーヒーよりも苦い。






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