2006.1.2/「きっと何度も繰り返した事」






 奇野頼知が西東天に触れるときはひどくやさしい。
 もちろん、頼知も男だから、相手が同性だという事は関係なく、好きなひとに対する欲望はある。とくに西東天という男は整った、年齢にそぐわない顔立ちをしていて、着物から見える肌もきれいだ。
 それをゆるされるなら乱暴に抱いてしまいたい、と思うときも、ないではないが──ほんのすこしだけ──結局頼知は彼を愛しちゃっているので、目の前にするとそんな感情はだいたい吹き飛び、とにかく触れたくて、たいせつにたいせつにしたくて、しょうがなくなる。
 頼知は彼に手を伸ばした。彼は頼知に背を向けて本を──漫画──読んでいた。気配を殺して忍び足で近づいていく。彼は気がつかないようだ。漫画を真剣に読んでいる。ほんとうに好きなんだなぁ、と思う。以前訊いたら、愛している、と断言された。漫画がうらやましい。ここだけの話嫉妬した。
 指先が触れようとしたところで、頼知は止まった。こんな事をしても、彼はべつに驚いたりはしないと気がついたからだ。彼を動じさせるなんて、頼知にはできない。
「………狐さん」
 あきらめて頼知は呼びかけた。
「ん」
 彼は返事をする。ただし生返事だ。
「勝手に部屋入っちゃいました、すみません」
「ん」
「……漫画おもしろいですか?」
「ん」
「何読んでるんですか?」
「ん」
「…………狐さん」
「ん」
「………………あの」
「ん」
「……………………俺って漫画より駄目?」
「ん」
「!!」
 すべておなじ生返事なところから、まったく話を聞いていない事はわかるが、それでも最後はショックだった。
「狐さん………」
「ん」
 ………くそー。
 本格的に漫画が恨めしくなって、頼知はうなだれた顔を上げ、ずりずりと畳のうえを這いずるように移動して彼と距離を詰めた。背を向けて胡座をかき、漫画に熱中している彼の背中。
 触れたいけれど、我慢した。
 その背中のすぐ目の前まで来て、止まる。
「狐さん、愛してます」
 そして真剣にささやいた。
「ん」
 ……返ってきた答は、おなじだったけれど。
 でも負けない。
「俺、ほんとに狐さんの事愛してるんです」
「ん」
「だいすきなんです。すっげー好きです」
「ん」
「ぶっちゃけ世界のおわりとかよりも狐さんに興味があって狐さんがいちばん大事です」
「ん」
「………だから狐さんの事抱きたかったりするわけで、抱いちゃったりするわけなんですが」
「ん」
「あのたぶん俺何度も言ってますよね、狐さんいつも返事ないけど!」
「ん」
「それで、いまもちょっと抱きたいかなーなんて」
「ん」
 ………だめだ、負けた。
 がっくりと頼知はうつむく。漫画に負ける愛なんて笑えない。
 うつむいたまま、頼知はぼそぼそと愚痴のように──実際愚痴だった──ひとりつぶやく。
「狐さん、ちょっとは漫画より俺にかまってください……俺さみしいです。すごくさみしいです。俺狐さんの事すっげー愛してんのにぜんぜん伝わってない気がします……」
「ん」
「ってマジでそうなんですか伝わってないんですか!?」
「頼知」
 そのとき、ようやく。
 彼が名前を呼んだ。それだけで頼知はぱぁっとあかるくなり、顔を上げる。
「はいッ!」
「いま読んでる漫画にあるんだが、愛を伝えるには目を見なきゃ伝わらんらしいぞ」
「えっ」
 頼知は驚いた。あわててまた畳のうえを這いずり、彼の正面に回り込む。そしてなぜか正座して、身を乗り出した。
「狐さっ」
 そして必死に言葉を紡ごうとしたとき。
 気がついた。
 たしかに、膝のうえに漫画をひろげて──頼知の知らない漫画だ──彼は読書していた。していたけれど、その目は文字を追っておらず、
 ───笑っていた。
 うつむいて、必死に笑いを堪えているように──笑っている。
「か……」
 それを見て、かぁっ、と熱くなった。
 胸の内の熱か、あたまに血がのぼったのか、わからないけれど。
「からかってたんですかー!?」
 ひどい!!
 そう叫ぶと、彼は顔を上げて、その笑顔を曝け出した。
「お前ほんっとバカだな、頼知」
 そんなひどい事を言う彼の──おもしろそうに、笑う姿。
「バカだよ」
 繰り返した言葉の意味を理解するよりはやく、───からだが動いていた。
 伸ばした右手と左手がそれぞれ彼の左肩と右腕をつかみ、畳のうえに押し倒していた。
 まだ笑っている彼の唇に頼知はキスをするが、それはキスともいえない雑なものだ。
「へたなキスを俺に仕掛けるなよ。教えてやろうか?」
 またからかうように笑う彼の肩と腕をぎゅ、と握りしめて、頼知はまだ正体のわからない熱いものを抱えたままささやいた。
「狐さんッ、俺、狐さんの事愛してますッ」
「そうか」
「……ちゃんと目ぇ見て伝えましたけど伝わってます?」
「ああ、お前が俺の事愛してる事ぐらいわかってるさ」
 余裕の笑みを浮かべる彼に、頼知は一瞬目を見開く。
「そ──なんですか」
「そりゃ、お前わかりやすいしな」
「そうですか……?」
「そうだよ」
 たとえば、と、彼は笑う。
「俺に触れるときとかな──わかる」
「……狐さ」
「でも、愛されるのはあんまり好きじゃねぇんだよな」
 とんでもない事をさらり、と言われて、頼知は思わず絶句する。
 え、と聞き返すと、彼は冗談のように言った。本気かどうかわからないように、わざとしているふうに──
「慕われるのとか、恋されるのは好きだが」
「こ………!?」
「ああ、木の実とか」
 可愛いもんだ。
 そう言う彼に、頼知は何か言おうとして、結局開いた口を一度、閉じた。
 しばらくしてから、微笑を浮かべている彼に向かって、ふたたび口を開く。
「………好きです」
「ん」
「愛してます、狐さん」
「抱いていいぜ」
 返ってきた答は、さきほどの質問の肯定だった。
「やさしくしろよ?」
 そう言われて、頼知も笑った。
「言われなくても、そうしちゃいますよ」


















 そしてささやいたのは愛の言葉で、
 恋はどこにもなかった。
 ……どこにもないと思った。










恋なんだとさっさと気付けばよかった





どこかにあったのか気付いてもきっと、どうにもならなかった事だけれど、






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