2006.1.4/「本気で言っているの」






 ドアを開けた瞬間、倒れ込むように彼は兎木吊の胸元を押して中に押し込むと、そのまま入っていった。
 茫然とする──いちおう礼儀を怠らないふうを努力している彼がこんな事をするなんて、めずらしい。普段ならなかなかありえないシチュエーションに、喜ぶとか驚くとかいうひまはなく、ただただ兎木吊垓輔はいぶかしんだ。
(………血のにおい)
 ドアが勝手に閉まり、オートロックがかかる音を聞きながら、振り返る。
 すでに廊下を突き進んで、リビングへと入り込んでいる背をゆっくりとした足取りで追う。いつものスーツにすこし皺を寄せて──これもめずらしい事だ──零崎双識はリビングに入ってからは、何をするでもなく立ち尽くしていた。
 リビングの出入口で止まり、兎木吊はその背を見る。
「座らないの?お客様のおもてなしぐらい、この俺にもできるけれど」
 何ならベッドでもいいよ、なんて、冗談混じりに言ってみせる──そういう冗談を、とくに兎木吊の口から聞く事をあまり好まない双識は、たいてい嫌な顔をして兎木吊を見るものだが、今日はそれもなかった。
 そもそも表情が見えない。
 ただ、物の少ない割にひろい面積を誇るリビングの真ん中辺りで立つ双識は、兎木吊の存在自体を黙殺しているようだった。
(だめだな、これは)
 胸中でつぶやき、兎木吊はリビングに足を踏み込んで、手近な壁に背をあずけた。そうして双識の背を見る。
 いつもと何ら変わりのない背中だ。
 猫背というわけもなく、ただとくべつ姿勢がいいわけもなく、普通に立っている。普通、と彼に言えば、零崎双識は喜ぶだろうか。
 けれど彼はいま、おそらく──殺人行為の後で、神経と精神が、普通ではない。
 しかし、それこそが──普通ではない。
 兎木吊もよくは知らないが、《自殺志願》やら《二十人目の地獄》やらいわれている事は知識として得ている──さらに彼自身から聞いたように、彼は殺人鬼だ。しかも人間を殺す事は日常茶飯事のような零崎一賊。
 いまさら、
(いまさら殺したくらいでなぜそんなふうに?)
 返り血すら浴びていない。
 けれど血のにおいがするという事は、彼の獲物であるあの鋏で、殺してきたのだろう。
 何人かは知らないし、理由などないだろうが──彼が誰かを殺人したのは確かだ。
(悔やんでいるわけでも懺悔しているわけでもない)
 ならば何を想っているのか。
 兎木吊には想像できない。
 彼の思想は理解できない。
(きみは)












「殺してきました」












 ふと───
 思考に沈みかけていた兎木吊を、双識の声が現実に引き戻した。
 顔を上げる。
 彼が振り向いていた。
「そう」
 兎木吊はうなずいた。
 肯定した。
「殺してきたんです」
「聞いたよ」
「それで家に帰っても誰もいなくて、」
「うん」
「……何だかさみしくて」
「慰めてあげようか?」
 兎木吊は双識に微笑みかけた。やさしくしたつもりだったが、双識はそれに対しては何の反応も見せない。
「言った事はあったと思うけれど、俺はきみが望むのならいくらでもやさしくしてあげるよ。家族がいなくたってさみしくないくらいにどろどろに愛してあげよう。きみが俺に依存するまで甘やかして、俺なしではいられないくらいにしてあげよう。そのうちきみが家族のもとにもどりたくなっても、俺を捨てたくなっても、いつかは俺のそばにもどってしまうくらいにずっとずっとそばにいてあげよう」
 そう言って、手をさしのべる。
 双識はその手も見ず、ただ、眼鏡の向こうの瞳で兎木吊を見据えていた。
 まっすぐに、そらす事なく。
「どうする?双識くん──きみはどうしたい?」
 再度問う。
 答はわかりきっていた。
 わかりきっていても、答を聞きたくなる。
 そんな兎木吊の衝動を知ってか知らずか、双識はしばらくそんな兎木吊を見て──しずかに、見て──
 笑った。
「兎木吊さん」
「ん?」
「だから私は兎木吊さんの事好きですよ」
 いつものように──普通に、そう言った。
 そして零崎双識は兎木吊垓輔の手を取った。
 そのまま引き寄せられるままに、
「………殺してしまいそうです」
「それだけはご遠慮願いたいね」
 おそらく明日の朝にはいなくなっているだろう、嘘吐きを抱きしめて、くちづける。













(この駆け引きがやめられない)
 だから俺もきみが好きだよ、双識くん。
 きみは俺を退屈させない。
(ある意味では、神よりも)
 この身を捨てた女神よりも──もしかしたら、










神様が居るのかこの僕にはわからない





嘘吐き。






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