2006.1.5/「ひとつひとつがわたしたちの愛のかたち」






 零崎双識は苛立っていた。気持ちを落ち着かせるために、煙草を吸っていたぐらいだ──彼はどんな感情だろうと、心が荒立つと、煙草を吸いたくなる。そういう人間だった。
 腕時計を見やる。午後四時二十一分。つまり、零崎双識がここに来てから二十一分が経っている。
 ここというのは、駅前にある時計台の前で、広場のようになっている。よくまちあわせに使われるため、人間はたくさんいたが、平日という事もあって混雑しているというほどではない。
 時計台に寄りかかるようにして、双識は待っていた。それから、そういえば禁煙だっけ、と気がつく──最近はどこもかしこも禁煙になっていて、境界線がよくわからない。
 けれどへたに何か言われたり罰金を払われたりするのは嫌だな、と思い、双識は煙草を消した。手で火を消し、ちかくのゴミ箱に捨てに行く。
 そして時計台にもどったとき、待ち人は来ていた。
 悠然と、まるで彼こそが待ち続けたように、さきほどまで双識がいた場所に立つ彼を見て、双識の顔が自然と不快に歪む。
「おや双識くん。きみも遅刻かい?よかったよかった、俺もすこし用事ができてしまってね、たったいま来たところなんだよ」
「私は四時にはここに来ていました。いま煙草を捨てに行っていたんです」
 正確に事実を伝えてやると、彼は──兎木吊垓輔はわざとらしく肩をすくめてみせた。双識の機嫌がますます下降する。
「禁煙していたんじゃないのかい?人識くんや舞織ちゃんに悪いからと」
「てめぇのせいだろうが。っていうか私の弟や妹の名を気安く呼ぶな!」
「怒らないでくれよ、遅れたのは謝るからさ──ほら、これ、お詫びのしるし」
 そう言って、兎木吊は後ろにやっていた両手をばさぁっと双識に差し出した。
 なぜ手を差し出すだけで、そんなばさぁっという効果音がしたのかというと──彼の手のなかにあったもの≠フせいだった。
 ほとんど条件反射で胸に突き出されたそれを受け取って、ふわりとした香りと、その異質さに眉をひそめる。
「………何で薔薇の花束なんか」
 べつにこれ自体は異質ではないが──赤い薔薇だ、青い薔薇ならまだしも──すくなくとも、男と男がいる空間では出番のないような代物だ。
 ひたすら眉をひそめる双識に、兎木吊はにっこりと笑う。
「通りがかりに安売りしていたんだ。遅れちゃったから、何かお土産をと思っているときにたまたま見かけてね──うん、きみに似合うよ」
「まったく褒められている気がしないんですが」
「いちおう、口説いているつもりなのだけれど」
「いやがらせにしか思えません」
「そうか、残念だ」
 双識の長い両腕にやっとおさまりきるくらいの、大量の薔薇。
 もしかして花屋にある赤い薔薇をすべて買い占めたのではないだろうかと思うほどの量だ。安売りといってもいくらしたのだろう。こういうところで金の無駄遣いをするくらいなら、零崎家にすこしくらい寄付してほしい。
「まぁ、行こうか。店が閉まってしまうよ」
「は?ちょ、まってください、この花どうするんですか」
「え?」
 すたすたと歩き出そうとする兎木吊をあわてて追いかけながら双識が問うと、彼はさも意外そうな顔をして振り返った。まるで呼吸の仕方を訊かれたかのような顔だ。
「持っていけばいいじゃないか。今日はきみのいとしいいとしい家族である忌まわしい《街》もとい零崎軋識が注文したものを取りに来たんだろう?べつに俺が愛を込めて捧げた花束くらい支障はないと思うけれど」
「支障ありますよ、男がこんなもん持って歩いてたら目立ちすぎです!普通じゃないです!」
「大丈夫、似合ってるから」
「関係ねぇよ!」
「で、あいつに頼まれたものって何だっけ?」
「あ、えーと、何とかっていうコンピュータに必要なやつらしくて、お店はこの先のデパートの二階に。でもどんなものかわからないから兎木吊さんに……ってそれは置いといて!ほんとどうするんですかこれ!」
 ふたたび歩き始めた兎木吊を追いかけて、並びながら双識は腕のなかの花束を見下ろす。双識が動くたびに花は揺れ、はらはらと花弁が舞い落ちた。
 その様子を視界の隅におさめながら、マイペースに歩を進める兎木吊をにらみつける。
「こんなの持ってデパートとか行けませんよ!これ、どうにかしてください」
「無理だよ。きみにあげたやつなんだから好きにして。邪魔なら捨てればいいじゃないか」
「………じゃあせめて一度家に帰らせてください。アスが頼んだものは五時まではとっておいてくれているらしいですから───」
「面倒だなぁ。だいたいきみの家に行ったらやる事なんて三つしかないじゃないか」
「三つ?」
「食べる、話す、寝る。あ、最後のは双識くんとって事だけれ」
「首斬りますよ」
「きれいな花には棘があるんだねぇ」
 にっこりと笑って言う双識に、笑い返してあっさりと言葉を返す兎木吊。キリがない会話に、双識はあきらめてため息を吐いた。
 今日は軋識は零崎の方の用事で出ていて、人識も舞織も学校だった。そんななかで軋識の注文したコンピュータ関係の品が届いたという知らせがあって、かわりに取ってきてくれと軋識に頼まれたのだ。
 しかし双識はコンピュータに関してはまったくの無知で、どんなものかわからないから予約したものを渡されてもほんとうにそれでいいのか確認のしようもない。滅多にそんな間違いなど起こらないだろうが、いちおうという意味を込めて、兎木吊に同行を頼んだわけだが───
 失敗だった、と双識は肩を落とす。
 そして薔薇の花束をもう一度見下ろした。
 捨ててしまう事は、もったいないという理由でできない。
 それだけだ。
 こんなきれいな薔薇、あんまり見ないし──舞織ちゃん、お花があったら喜んでくれるかもしれないし──
「………捨てないの?」
 兎木吊に、不意に顔をのぞき込まれるようにして、問われる。
 双識はむっと眉をしかめて、ため息混じりに答えた。
「もういいです。コインロッカーがあったらそこに押し込んで、なかったら買物のあいだにその辺に放っておけばいいし」
「そう」
 相変わらずのいやらしい笑みを浮かべてうなずく兎木吊を、もう一度にらみつけて───
「双識くん」
「何ですか」
「零崎のきみに頼みがあるんだけれど」
「……めずらしい事言いますね。何ですか?」
「うん、実はその花束のなかに、拳銃が入っている」
「…………はぁ」
 驚くというよりあきれたふうに、双識は相槌を打った。
 だからこんなにバカみたいに大量なのか。むしろ納得した。
「俺は近いうちにちょっとだけ、出かけなければならなくてね──なるべくはやいうちにもどってくるつもりなんだけれど、もしもどらなかったら」
「拳銃で誰か殺せと?」
「というか、それできみが不安になったら、撃ってくれ」
「………意味がよくわかりません」
 花束を抱え直す。兎木吊垓輔の言う事だから、嘘かどうかはわからないけれど──慎重に聞いた。
「うん、つまり──俺があんまり帰ってこなくてさみしくなったら、空に向かってでも他人に向かってでも零崎軋識に向かってでもいい。銃声を上げてくれ。それが合図だ。俺はそれを聞いたら、真っ先にきみのところへ飛んでいくよ」
「……………」
 ───どこからが嘘で、どこまでがほんとうか。
 結局いつものように見抜けずに、双識は口を開いた。
「恥ずかしい事を普通に言う癖、なおしてください」
「いつでも本音直球で言っているんだけれど」
「バカみたいですよ、まったく──仮にあなたがいなくなったとしても、私はさみしくなんかありません。ええそうですね、たとえさみしくなくても、あなたに何が用ができたら、そんなまどろっこしい事はしません」
 花束に唇を埋めながら、ささやく。
 花弁に紛れるように。
 彼に届かないように、ひそやかに。


















「────私の足で捜しに行きます」










煙草と黒いスーツに花束と約束の銃





だから、何ひとつとしていらない。






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