2006.1.11/「いいえ、もう出会うつもりなんてありませんよ」
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「あなたは───」
ぼくはもう言葉は必要ないだろうとわかっていたし、思っていたし、そうするつもりだった。
だが自然と言葉がこぼれた。
背を向ける彼。
ぼくの手には役目を果たさずに役割を全うした拳銃。
狐の面をもうかぶっていないが、ぼくは狐さん、と呼ぶ。
彼の名前はもう長く知っていたはずなのに──彼が名乗る前から──しっくりこなかった。彼もそうなのだろう、ぼくの名前を呼ばなかった。
振り返って、言う。
「何だ、俺の敵」
彼は学園の外、その暗闇のなかにぽっかりとその白い姿を浮かび上がらせていた。
不覚にもぼくはそれをきれいだと思った。
一瞬だけ。
「ぼくはあなたを殺さない。それでも、あなたはこれから先──ぼくとまだ、戦うつもりですか」
「戦うつもりですか?──それは俺のセリフだな、俺の敵。俺は言っただろう、お前に手を出すのはやめると。お前はもう俺の敵じゃない。俺はまた、べつの方法で世界のおわりを、物語のおわりを求めるだけさ。ただその道を阻むというのなら」
彼はそこで笑う。
凄絶で壮絶な、人類最強に受け継がれた微笑。
「容赦はしない」
ぼくの敵は彼。
彼の敵はぼく。
それはもうおわった話だった。
けれどぼくは、彼を殺さずに、彼の試みを生涯をかけて阻止するだろう。
そして彼は、ぼくのその意志をわかっていながらそれを黙認し、そして撃ち返すだろう。
「話はそれだけか、俺の敵。木の実たちが待ってるからはやく行きたいんだが。まぁ、どうせ説教だろうがな」
無理するなとか何とか。面倒そうに彼は言う。
ぼくはその言葉にはかまわず、戯言を紡いだ。
「狐さん、ぼくはあなたを殺しました」
「ああ」
彼はあっさりとうなずく。
「そうだな。俺は殺された。しかしまだ生きている」
「あなたは死にたかったんですか」
ぼくはどうしても疑問に残る事を、ぶつけた。
彼とはきっとふたたび出会う事になるだろうが、こんなにしずかな質問を投げつけられるのは、きっといまこの時間しかないと──半ば確信していた。
「いいや?」
ぼくは肯定を予想していた。
……というか、それしかないと思っていたのだ。
彼のこれまでの行動と言葉、そのすべてをひとつひとつ考えて、いくら思考を練ってみても──答は、肯定でしかありえないと思っていた。
けれど彼はそんなぼくの推理をあっさりと壊し、答を口にする。
「お前が俺を殺した事に、恨みはない。むしろこれは感謝、かな──俺はな、俺の敵。いつまで生きていればいいんだろう、と言っただろう。死にたくはない。決して死にたくはない、だが俺という人間はどこでおわるのか──まったくわからん。俺はそれを考えた。そして──絶望を感じたね」
「絶望……?」
「俺の中で明楽は生きていた。先日、死んだがな」
突然入ってくる話。けれどそれは繋がっているのだと、すぐに悟る。
「俺をおわらせられるのは、明楽だけだった」
そう言って笑う、彼のその微笑の種類はいままで見た事もないようで──
もしかしたら、最後のものかもしれなかった。
「しかしその明楽も死に──俺は、俺の生がおわる瞬間がわからなくなった。いままで無意識のうちに明楽という救い≠ェあったから、それがなくなってからは実際、不安定だったよ──ああ、不安定だった。まるで二十年前、十年前のようにな。あの狐面を供養に出した後、しばらくひとりで立ち尽くした。明楽が死んだいま、ついに俺はいつまで生きればいいのかわからなくなった。明楽が生きているときは、躊躇いなく世界のおわりと物語のおわりを求める事ができたというのに──明楽が、同類が死んだとき、俺は俺の限界を知った」
だが、と彼は続ける。
一度息を吐き、吸って、言った。
「お前がいた」
「………ぼくが、」
「そうだ、お前だ。お前だ、俺の敵。お前は──俺をおわらせてくれる存在だった」
架城明楽という人間が死に、
その役割は──ぼくが引き継いだというのだろうか。
ずいぶんと無理矢理で、どこかセンチメンタルな印象を受けるけれど──ぼくはそれに納得してしまった。
そうか。
だからセカンドは死に、
戯言遣いは彼の目の前にいる。
「俺は次のステージに、やっと、行ける。ほんとうの意味での次のステージ。十年前の、その次へ」
「………ぼくは世界を救ったつもりでいました。正義の味方になったと」
ぼくは何の後悔もないまま言った。
「でもぼくは、あなたを解放してしまったんですね」
彼はそれに対して、何も言わずに笑い、くるりと背を向けた。
その際に、ひらり、と手を振って。
「感謝するぜ。じゃあな──俺の敵、」
彼はぼくの名前を呼んだ。
ひどくひさしぶりに呼ばれる名前に、ぼくはうなずき、おなじように背を向ける。
───帰ろう。
ぼくの家へ。
また出会う為に別れよう
彼は歩いていた。
雑踏のなかを歩くのは嫌いだったので、彼はたいてい表の道を歩く事もなく、車で移動するか誰かを使っていた。
けれどその日は──その日は違った。彼は従った。彼の知る何かに従い、彼の知らない何かに抗わずその道を通った。人込み。ぶつかっても謝罪をしない通行人。だが彼は実際の話、そのなかを他の人間たちに比べてのんびりとおだやかに歩いているというのに、誰にもぶつかる事はなかった。欠伸をしながら、ほとんど隙間なく人間で埋め尽くされる通りを歩く。
老若男女、さまざまな表情で歩いていく道。
この、すばらしい世界に───
「………ふん」
彼はひとり、ちいさく笑い、それを堪えるように一瞬目を伏せ、うつむいた──
その瞬間。
───す、と。
風が過ぎる。
すぐ横を、触れる事なく、
他の人間たちとおなじように通り過ぎる、ひとり──
「─────」
彼は開いた目をさらに見開き、とてもゆっくりと──同時に勢いよく、迅速に──振り返った。
雑踏の中で立ち止まる。
彼の目が追うのは、たったいま彼の横を歩んでいった男の背中。
その背中はしばらく雑踏の中を歩いていき、やがて──振り向く。
「───ッ」
視線が合って、彼は駆け出そうとした。
何だこれは。
くだらねぇ神様とやらの贈り物か?
「あき───」
名前を呼ぼうとした、そのとき、その男は微笑した。
記憶とおなじ、まだ燻るように残る思い出とおなじに。
それに思わず足が止まる。
男はそれから背を向け、雑踏の中に消えていった。
「………………」
しばらく立ち尽くす。
ざわめきの中、ひとりで立ち続け──
西東天は笑った。
ひどくおもしろそうに笑い、踵を返す。
歩き始めた先の景色。
それを見るために、彼は、迷いなく前に進み始めた。
いつか運命が彼らをめぐりあわせるまで。
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