2006.1.11/「笑ってくれ」
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兎木吊垓輔。
かつて、世を騒がせた機械のスペシャリストたちの一員。
二つ名は、《害悪細菌》。
そして彼が心酔するのは──幼い、たったひとりの、少女。
「………あれ、何か怒ってる?」
電話を切った男が笑いながら問うてくる。
不思議そうに、すべてをわかっているとでもいうように。
いやらしい笑みだ。
「怒ってませんけど」
零崎双識は苛立ちながら答えた。
でも声はいつもより低いし、そっけなかったし、無愛想だった気がする。
怒ってなんかいないのに。
苛立っているだけで。
「苛立ってる?」
……否定しようと口を開きかけて、そのまま硬直した。
キッチンで夕飯──カレー──をつくっている双識の背に、ぬくもり。
腹部の辺りにまわされた手。
つまり後ろから……兎木吊垓輔に抱きしめられている。
「………離してくれませんか」
「よしよし、大丈夫だよ、双識くんの事ちゃんと愛してるから」
「いま私は包丁持ってるんですが刺されたいんですか」
「きみにならマゾになってもいいかもね。きみがリードしてくれるなら」
本気で刺してやろうか、と思い、包丁を握りしめる。
しかしこれは家族のための料理だ。
血の味をさせるわけにはいかない──いきなり押しかけてきた兎木吊が食べるというのならべつに彼の血に染まってしまってもかまわないが。でもそんな料理、双識は食べたくない。
双識はあきらめるようにため息を吐いて、ふたたび包丁をリズミカルに動かし始めた。
こういうときは無視をするのがいちばんだと、最近になってようやく気がついた。
「ああ、それで、わかっているんだろうが、いまの電話は玖渚友からだ」
「………………」
「彼女、俺が嫌いなのかな?手があいてるのが俺しかいないからしょうがないし手伝ってって言われたよ──俺を使うのをしょうがない、だって。彼女らしいけれどね」
「………………」
「そういえば、ほんとうにどうでもいい事だけれど、彼女、黒のコートを着てたんだぜ。彼女が着るとなかなかそそられる素敵なコートだったんだが、もう壊してしまったらしくてね。双識くんも似合いそうだね、黒のコート。俺はきみに出会ってから冬のきみを見た事がないから──そろそろ冷えるし。持っていないんなら黒のコート、俺がプレゼントしようか?冬といえばクリスマスだし」
「………………」
「あ、念のために言っておくが、彼女が頼まれた用事は明日からでいいらしくてね。今夜は自由に過ごしていいって許可が下ったよ──だから双識くん、きみの手作り料理を俺にも食べさせてくれるかな?はじめてだ。手際がいいね、刃物だからかい?あとついでに泊めてくれるとうれしいんだが、駄目かな?もちろんきみのベッドでいいさ。むしろそれを希望する。きみの可愛い弟くんと妹さん、それに軋──識、零崎軋識の許可をもらうのは俺に任せてくれ。戦おう」
「………………」
「双識くん」
「………………もう勝手にしてください」
うるさい。
料理に集中できない。
むすっとした双識の言葉に、兎木吊はからだをわずかに離し、返した。
「勝手にしていいのかい?」
「………いえやっぱりやめてください。ご飯食べてくのはいいですから。っていうか客間ありますから」
「えー、双識くんのベッドで」
「帰れ」
一蹴すると、はいはい、という笑いを含んだ声。
それと同時に兎木吊が離れ、さきほどのように食事をするためのテーブルにつく。
ちらり、と後ろを見ると──料理の手は止めなかった──彼は携帯電話を取り出していた。考えなくてもわかる。たったいままで電話していた彼女≠ニ連絡をとっているのだろう──彼が携帯電話を使っているとき、たいてい相手はあの少女だという事を、双識は最近学んだ。
ため息を吐く。
もう、苛立ちも何もなかった。
そのとき、物音がした──玄関からだ。ただいま、という声が聞こえる。
「アスだ」
双識が言うと、兎木吊が席を立って、俺が迎えようとなぜか笑顔で去っていった。
それからまもなく玄関で言い争う声。
あのふたりは何であんなに仲が悪いんだろう、と思いながら──ふと、テーブルのうえに置き去りにされた、兎木吊の携帯電話が目に入る。
双識はしばらくそれを凝視して──包丁を俎板のうえに置くと、テーブルに歩み寄り、電話を手に取った。
何の変哲もない携帯電話。
(────うわ)
双識は胸中で驚きの声を上げる。
手の中を見ると、何も変わっていない電話があった──けれど、いまこの一瞬、脳内でたしかに、
(壊していた)
粉々に。
ばらばらに。
「………まずった」
ひとりつぶやいた双識の耳には、いまだに何か言い合っている兎木吊と軋識の声が聞こえて──双識は携帯電話をそっとテーブルのうえに置いて、何の意味も持たないため息を吐いた。
どうしても壊したくなる衝動
とてもとてもやさしい愛情。
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