2006.1.24/「それは、ずっと前の、話」
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なぜころした、
「なぜ殺した───」
それを西東天に言った人間は思い出せなかったし、殺したという人間もわからなかった。いつだったのかどこだったのかどうしてだったのか、時間も場所も理由も知りえなかった。
ただその問いを不意に思い返した。
それに対して、どう答えたのかも。
「────さぁな」
滲んだ血。
……そうか、血のせいだ。人類最悪はそれを理解した。
だからこんな事を思考しているのか。
「…………くッ」
ちいさくうめいて、顔をしかめる。しかしそれはすべて、つめたい空気に溶けていった。
日本の冬は、真剣に数えてみると三年ぶりだった。
ふたりの協力者とひとりの娘と、アメリカから帰ってきて──彼らと過ごす、はじめての冬。
けれどそれは、思いがけずひとりで過ごす事になった。
(……思いがけず?)
違う、と否定する。
そうしながら、彼は肘から手首にかけて、まだ塞がらず傷口から血を流す部分に巻いていた包帯の端を唇で噛み、ぐい、と引っ張った。締めつけ、それにかすかに眉をしかめながらも、包帯をとめていく。
(俺の娘も純哉も──すこしは、手加減しやがれ)
日本にある、旅館のひとつ。
そこに着いて、部屋を借りるまでは滞りなくできたが、幸か不幸か部屋に着いた途端、服で何とか隠していた傷は塞がるどころか逆に開いていた。
それでも奇跡だ。
奇跡なんてものがあるのなら、まさしくこれが、そうなのだろう。そう、彼は思う。
(俺は死んだ)
娘に殺された。
そのはずなのだ。
けれど目が覚めると、娘の姿はなく──親友である藍川純哉と、ただひとりの同類である架城明楽の死体があるだけだった。
ふたりが死んでいる事で、いま彼がいる場所が地獄でも何でもなく、現実なのだとわかった。わからざるをえなかった。
「にしても痛ぇ……畜生……」
医者に行った方がいいだろうか。
何事もなくこの旅館に泊まる事もできた。そうなると、まだ彼らの死は世間に広がっていない。騒がれる恐れはないだろう。
しばらくおとなしくしていれば、世の人々は西東天という天才も、その協力者ふたり、娘の存在も忘れるだろうから──この喧嘩≠フ結末が知れ渡る前に、最低限の事はしておかなければならない。
どうする。
最低限とは──何だ?
(幸い、金はあるしな……)
住居の確保と、怪我の治療。
……できうるならば死体の埋葬と。
「……………もう、どっかに処理されてるか」
考えてみれば。考えなくてもわかる事だが。
この結末を、知らないわけがない。
政治を司る彼らが、財政を司る彼らが、戦闘を司る彼らが、───この世界が。
当然、知っているだろう。とうの昔に。
ふたり死に、ふたり生き残っている事を。
ただそれを世間はまだ知らない。それくらいは、この旅館に来るまで、簡単な治療道具を手に入れるまでの過程でわかっている。
どこの世界の彼らかはわからないが、とにかく彼ら≠ェ──まだおさえている。このまま隠蔽するつもりだろうか。意図など彼はどうでもいいので考えなかったが、だが、どちらにしろまだ世間がおとなしいという事は。知られないように、痕跡は、消しているはず──
「そうなるとまずは、死体の奪還、か」
それこそ、急がなければならない。
じわりと包帯に滲む血。ここに来るまでに応急処置だけはしていたのだが、やはり大雑把すぎたらしくもう包帯がとれかかっている──片足の、太腿から膝辺りまでの包帯を解き、簡単な手当をし直しながら、彼は考える。
───どこからあたるか。
こんな面倒な事をするのは、政治か財政。そのどちらかの住人たち。
「片っ端からあたるしかねぇ、か」
つぶやき、彼は包帯を素早く巻き直す。他の傷の手当はおわっていたので、それを最後に立ち上がった。部屋を出て行こうとして、ふと──止まる。
視線の先には、狐の仮面。
畳の上に転がるそれは、──架城明楽のものだ。
とにかくその場を離れなければならない、そう感じて、ただ感じてふたりの友人の死体を置き去る直前──ただ、自然に手に取っていたもの。
狐面。
「…………………」
それを、しばらく見つめて──身を屈め、手に取る。その動作のあいだに痛みが走ったが、かまわない。
仮面には点々と血がついていた。誰のものだろう。架城明楽のものか、西東天のものか、藍川純哉のものか、娘のものか───
(───そうか)
その血と仮面を見て、西東天はたしかに、思い出した。
「なぜ殺した───」
愚かだと哀れだとわかっていながら問うた。
「なぜ殺した!」
(俺が問うたんだ)
架城明楽を殺した──藍川純哉へ。
(狂ってる、な)
ふ、と笑みをこぼし、彼はその面についた血を手で乱暴に拭う。まだある名残はあとでやればいいか、と適当に思い、それをかぶった。
当たり前のように。
彼の形見を。
(明楽──お前の事は殺せないようだ)
その証とでもいうように、狐面をかぶり、彼は歩く。
絶望とともに、ひとりでこの冬を歩いていった。
全ての物に存在価値を
問いただしたい気分だ
十年前、たった一度だけひとりになった冬。
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