2006.1.30/「誰にも教えてやらないよ」






「うん?あー、あたしはね。うん、請負人。わかるかーお子様ちゃん。う・け・お・い・に・ん。さぁ、あたしに続いてー」
 お子様じゃねぇよ、という反論とともに名乗る事もできない少年の理由は、口の中いっぱいにアイスを頬張っていたからだ。蝉が遠くで鳴いている。うるさいなぁ、と少年は思った。蝉の命が短いという事を知らないぐらいに少年は幼く、素直で、蝉に対して興味がなかった。
 何となく、道端にある甘味の店の椅子に座り団子を食べていたら、となりに赤い女が座ってきた。赤い、赤い女だ。それ以外の形容詞が少年には思いつかない。
 ちいさな店なので、カウンターがあり、そこで並ぶ商品越しに老婆へ注文する。食べる場所というより休むためという目的で、その店に隣接して赤い布が敷かれた長椅子があった。そこにふたりは座っていた。
 こんな暑い夏の昼の田舎道には誰もいなくて、店の老婆と、赤い女と少年しかいない。
「………おねーさん、マジで何やってんの」
「いま言っただろうが。請負人だっつーの」
「何だよそれ」
「え、何、知らねぇの?請負人」
「そんな職業聞いた事ない」
「じゃあいま憶えな。あたしは誰かの仕事を請け負う。それが請負人たるあたしだ」
「ふーん。じゃ、俺のかわりに家帰って父ちゃんに説教食らってくれよ」
「あたしの仕事は高いの。お子様にゃ無理無理」
「お子様言うな。もう小学生だぞ!」
「ふーん」
「…………まだ一年生だけど」
「そ」
 いまは八月、少年にとっては夏休みだ。
 まだ学校に通い始めて、半年も経っていない。
 しかし彼女はバカにするでもなく、ただうなずいて──海苔巻を買ったらしく、それを食べている。赤い女は美人だった。少年が見てもわかるほどの、とんでもない美人だ──そんな彼女がこんなところで、赤い格好をして海苔巻を食べている姿は、どこかおかしい。
「説教食らう予定?」
「え?」
「言ってただろ、いま──父ちゃんに説教、ってさ」
 そう、海苔巻を食べ終えた彼女は笑い、硝子のコップに入ったつめたいお茶を一息に飲んだ。やっぱり海苔巻はここじゃないとな、なんて言っている。少年はそんな彼女がおかしくて、ちょっと笑ってしまいながら答えた。
 おかしかったから、心をすこしゆるしたのかもしれない。
 気がつくと少年は話し始めていた。
「父ちゃん、説教好きなんだ」
「へぇ」
「何か、よくわかんないけど。父ちゃん、何か芸術家?らしくてさ。やたらと俺にいろいろ言ってくんの。芸術のすばらしさ、みたいなやつ。で、俺が興味ないって言うと、すーぐぐだぐだ鬱陶しい事言うんだぜ。お前には絶対才能がある、俺の息子なんだから、とかなんとか」
「お子様にするには大人すぎる気がするね。その父ちゃん」
「ほんとだよ。いまから何言ってんのって感じ」
 肩をすくめる少年は、うんざりしたようにため息を吐いた。
 赤い女はふ、と笑う。その目が何かを思い出すように細められていた事に、少年は気がつかない。
「それでもさ。お子様ちゃん、お前はしあわせもんだよ」
「え?」
「父親に、俺の息子、って言われんだから」
 まるで自分の事のように、それが誇りだと言わんばかりに、彼女は断言した。
 少年はそれが不思議でしょうがなくて、目をぱちくりとさせた。彼女の言葉が理解できなかった。いや、理解はできても、認識はできなかった。
「親に認められてるのは、幸福だって事。ほんっと、そんなのべつにいらねぇ、って奴もいるけど──あたしもそう思うけど、でもそれは、あって悪いもんじゃねぇ」
 語る彼女の言葉に、頭をクエスチョンマークでいっぱいにして首を傾げる少年の頭を、赤い女はかるく小突いた。長年の友人に対して行うように、気軽に。
「ちゃんとその辺理解しろよ。お子様ちゃんにだってそれはわかんだろ。お前はほんとは、なーんでもわかるはずなんだから」
「……何でも?」
「うん、ま、あたしにはかなわないだろうけど」
 あっさりと言って、さて、と彼女は立ち上がった。
 少年を見下ろして、陽光を背景に、笑う。
「あたしは行くから。じゃ、人生がんばれ、少年」
「あ────」
 少年はすたすたと歩み去っていく彼女へ、思わず声を上げた。
 名残惜しかったのか、もっと彼女の言葉を、その理由を聞きたかったのか、それはわからないけれど──彼女は振り向いた。すでに数メートル離れた距離で、彼女は笑っている。
「どうした?お子様ちゃん」
「えっと───」
 悩んだ挙句、少年は結局、ありきたりな問いを発した。
「おねーさんの、名前は?」
 彼女は待っていたと言わんばかりの笑顔を見せて、答えた。
 それはとてもきれいな姿だった。
「哀川潤」













 彼女の名は青空の中に消えて、太陽に吸い込まれた。










私という理由





それを知るのは私だけ。私の言葉も行いもすべて私のもの。






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