2006.1.31/「仰せのままに、ご主人様?」






 感情には素直に生きる事にしている。
 その点だけふたりはおなじだった。












「………いいか、頼知」
 ふたりとも正座をしている。西東天の正座はきれいだなぁと奇野頼知は思った。真正面に座する頼知の正座はどこかぎこちなく、かたい感じがする。
 だがいまは正座の事など関係ない。狐面をかぶった人類最悪は、面の奥から頼知をじっと見据えている事がわかる。彼が不機嫌さを醸し出している事も、目の前にいる頼知は否応なくわかるし、何よりもその原因は頼知自身にあるのだ。わからないはずがない。
 低い彼の声が続く。
「お前が俺の事が好きなのはわかった。そして最初に言った通り、べつに俺はお前が俺に対するようにお前の事を想っていないし、拒否する事はないが受け入れる事はない」
「わかってます」
 真剣に頼知はうなずく。
「俺が狐さんの事好きなのはマジです。で」
「絶対ゆるさん」
「………………」
 言葉が遮られて、頼知は一瞬怯む。
 だが膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめて、きっ、と決意の目を彼に向けた。
「俺の望みは変わりません!」
「変われ」
「いやそんな命令……」
「反論却下」
「つめたいです狐さん!」
「やかましい。お前が悪い」
「俺のせい!?」
「どう考えてもそうだろうが」
「何で!!」
「お前、俺が男に抱かれて喜ぶような奴だと思ってんのか」
「思ってませんけど抱きたいのはしょうがないじゃないですかー!!」
 最後は悲鳴のような声だった。それに、西東天のため息が重なる。
 ……つまりはそういう事だった。
 奇野頼知の決死の願いは無残に却下されていた。
 彼は狐面をはずして、物憂げな表情を晒した。面倒になったのか、正座を解いてあぐらをかく。頬杖をついて、面倒そうに頼知に視線をやった。
「なぁ頼知」
「………はい」
「冷静に考えてみろ。お前、三十九の男を抱いて楽しいのか?」
「年齢とか性別とか関係ありません!だって狐さんですから!」
「賭けてもいいがお前、絶対いざとなったら萎えるぞ。俺が保証する。俺はお前が萎えたって何もせんからな」
「なえっ……!狐さんそんなっ、昼間っから破廉恥な!」
「昼間から俺の事抱きたいとか喚いた奴がほざくな」
 ふん、と言って、彼は目を細める。
「いいか。それに、お前が好きだって言ってる奴が拒否してんだ。これ以上強要すんのは男じゃねぇぞ。絶対」
「う……で、でも、狐さんだって男ならわかるでしょ!」
「何が」
「好きなひとに対する男の欲望っていうか」
「知らん」
「知らんって!」
「そんなのあったとしても女相手だろうが。俺は同性愛者じゃねぇし」
「俺だってべつにそういうわけじゃ」
「じゃあ男の欲望とやらをどっかの女で満たしてこい」
「狐さんだからですよ!あるでしょそういうの!」
「いまはない」
 言い切る彼に、頼知はがっくりと肩を落とす。
 しかも、いまは、って。
 昔はあったんですか。十年前とか。十年前とか。十年前とか!
「………経験豊富そうな狐さんに訊きますけど」
 自らの思考に落ち込みつつも、頼知は思わず口を開いた。
「狐さんって男のひとと、そういう、経験って」
「ああ、あるが」
「マジで!?何人!?」
「あー……ふたり?」
「何それ!?」
「若気の至りみたいなもんだ。あの頃はいちおう本気だったが」
「言ってる事矛盾してますよ!!」
「どこが」
「だ、だって、さっき男に抱かれて喜ぶなんて、とかなんとか……」
「同意ならいいんだよ。この場合は同意じゃねぇから駄目だっつってんだ」
「そ、そんな…………ち、ちなみにお相手、とかは」
 自虐行為だ。そう思いながらも頼知は続けてしまう。
 彼はバカにしたように眉をしかめた。
「言うわけねぇだろバカ」
「えぇっ!?バカ呼ばわり!?」
「俺の過去を知ってどうする」
「だ、だって……知りたいですよ、ちょ、ちょっとだけ……」
「……あのな、頼知」
 彼はやがて、説き伏せるような声を出した。頼知は崩れかけていた正座を思わずなおす。
「べつに俺はお前の事は嫌いじゃない」
「……喜ぶところですかね」
「黙って聞け。さらに、俺にとってセックスなんてのはたいした事じゃねぇし、この場合は男同士で妊娠の心配もないからかるーく性欲処理の勢いでもいいかなという思いがある」
「それ何気にひど……」
「でもお前、男ははじめてなんだろ」
「へ?」
 頑なといえるほど拒否していた彼の理由に、頼知は思わずまぬけな声を出した。
「過去、俺を抱いたふたりも男ははじめてでな。一人目なんて俺も陶然はじめてだったから、痛ぇの何のって……あの痛みは地獄だ。最悪だ」
「えっと……それはつまり……」
「俺は楽しい事や気持ちいい事は好きだが、その反対は嫌だ。そんなわけでお前は絶対後者だから俺は拒否する」
「そんな理由!?」
「そんなとかいうな。お前も一回やってみろ。あれはほんっとにトラウマになるぞ」
 トラウマとかいってるのに何で二人目がいるんですかという疑問は傷つきそうなので飲み込んで、頼知は彼に必死に言った。
「俺は狐さんがいいんですって!ずっと言ってるじゃないですか!」
「俺は嫌だ」
「な……なるべく痛くしないようにがんばりますから!」
「そう言う奴ほど痛くするんだよ」
「………それ経験談?」
「いや、俺の場合」
「……………」
 どうしよう、何も言えない。
 頼知はうつむいて、落ち込んだ。彼は気まぐれなので、一度決めた事を翌日にはころりと変えたりする事くらいあるが、これはそうはいかない気がする。
「……そんなに駄目ですか」
「そんなに俺を抱きてぇのか」
 問いを問いで返されて、頼知は顔を上げる。
 彼を見て、はっきりとうなずいた。
「………はい」
 精一杯の誠意と感情を込めて、告げる。
「狐さんの事愛してます、から」
 面と向かって言う事の恥ずかしさに、声がすこしかすれてしまった。
 けれどそれを聞いて、彼は意外な事に──ふ、と笑った。
 楽しげに、どこか、……うれしそうに。
「………ったく」
 つぶやいた声はちいさくて、頼知の耳にはかすかにしか届かない。
「そんなんだからな……二人目までゆるしちまったんだよな」
 俺も懲りねぇな。
 その独白はわずかに聞き取れずに、頼知は首を傾げた。
「狐さん?」
「しょうがねぇ」
 笑って、彼は手を伸ばす。
「頼知」
 呼ばれて、反射的にその手を取った。
 そのままぐいと引かれて、わ、と思う間もなく、目の前に彼の顔がある。
 息がかかるほどのちかい距離に、頼知は息を呑んだ。
「き──つねさん!?」
「レッスンだ」
「はい!?」
「まずはキスから」
 おもしろがるように──実際おもしろがっているのだろう、そうささやかれると同時に、彼の唇が頼知のそれに重なった。
「─────!?」
 突然の事にびっくりして目を見開く頼知にはかまわず、その隙をぬって、唇を割り彼の舌がゆっくりと頼知の口内に侵入する。
 硬直する舌を絡め取られて、唾液を吸われ、歯列を割られていく。
(や、ば)
 ちゅく、といやらしい音が耳に届いて、彼の吐息が聞こえた次の瞬間には──頼知の理性は燃え滾っていた。
 彼の肩をつかんで、その細いからだを押す。抵抗なく畳のうえに横たわったそのからだのうえに乗って、彼のしかけたキスに必死に対抗しようと、くちづけをふかくしていった。
「………ん、」
 押し殺したような声が耳に届く。彼の指先が頼知の頬に触れた。悪戯に撫でるようにしてすぐに離れようとしたその手を無我夢中でつかむ。手は抵抗なく畳のうえに押しつけられた。もう片方の手もおなじように、ゆるやかに拘束する。
「………頼知、………ぁ、は、なせ」
 長いキスは彼のくぐもった抗議の声でおわった。
 唾液の糸をひいて唇を離す。いささか荒くなった呼吸で見下ろした先の彼は、わずかに呼吸を乱しているだけで、やはり笑っていた。
「狐さん………」
 呼んで、もう一度距離を詰めようとしたところで。
「四十五点」
「は?」
 間近で言われたのはあまりにも色気のない言葉で、頼知は思わず聞き返していた。
 彼はかまわず続ける。頼知をまっすぐに見たまま。
「お前のキス。ERプログラムの進級試験にも受からねぇぞ、これじゃ」
「え……ちょ、あの、狐さん?」
「レッスンだって言っただろ。せめて最低でも六十点はねぇとなぁ……」
「あの……ちょっと説明いただけませんか……」
「説明も何もその通りだ。キスが合格点行かねぇとその先なんかやらせられねぇっつーの。当たり前だろ?」
 彼の思考が、いちおう理解はできるがわかりたくなくて、頼知はかわいた声を出す。
「………ええとそれはつまり………」
「おう」

「この状態で、これ以上は何もしちゃ駄目、って事、です、か」
「ああ」

 あっさりとうなずいて、笑う彼に、頼知はかーっと熱が頭に集まるのを感じた。
 こんな距離なんだから、いま、俺がどういう状態かわかってるくせに……!
(それでこれはひどすぎます狐さん……!)
 これも人類最悪に惚れたせいか。
 頼知がフリーズしているのに、彼は肩をふるわせて笑いながら、あまい言葉をささやく。
「なぁ、頼知。もちろんキスが合格しねぇと駄目だが、それはつまりキスまでなら──いくらしても、いいんだぜ?」
 あまりにも苦い睦言に、頼知は半ばやけくそに、また距離を詰めた。
「………絶対、ナカセテやります」
 告げた決意はあまりにも欲望に正直なもの。
 それが気に入ったのか、彼は笑みをふかくした。
「できるもんならやってみろ、四十五点」






















 熱だけはあるくちづけを受ける。
 ぞくりとしたものはわずかにしか走らなくても、じわじわと浸透するように染み入ってくる。
(やっぱりこいつで遊ぶのはおもしれぇ)
 笑いが耐え切れなくて、手を握った。
 つかまれた手首も熱い。
(熱だけは、百点、だな)
 このあまりにも若い病毒遣いの欲望。
 それを見てみたいとささやくのは、このキスを終えてから。










素直に欲望に任しちまえ





わたしはあなたのしもべ。






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