2006.2.9/「ちがいますちがいますちがいます」






 ふと、もしかしたら彼の事が好きなのかもしれないと思った。












 何て事のない午後。夕方に近い昼過ぎ、ふたり、向かい合って適当にカフェでお茶をしていた。どうでもいいような理由とタイミングで、どうでもいい会話をして、その最後。向かいの彼が、そろそろ帰りますと席を立ったそのとき。
 兎吊木垓輔はそう思った。
 彼の事が好きなのかもしれないと思った。
 兎吊木の、その限りなく確信にちかい疑問は顔に出ていたのだろうか。まぬけな顔をしていますよ、と、テーブルを挟んだ向かいで伝票を片手に立つ男──零崎双識に笑われた。
「どうしたんですか?」
 かるい問いかけに、けれど咄嗟には答えられずに、兎吊木は硬直してしまっていた。まばたきもせずにかたまって、ただ双識を見上げる兎吊木に、彼は首を傾げて目をぱちくりとさせる。からかうような笑みを消して、座り直した。半端な時間のせいか、客のすくないカフェのさらに奥まった場所で、双識の動作に疑問を持つような他人はいない。
 好都合で不都合な状況。
 兎吊木は座り直して、目を細めて伊達眼鏡の向こうから見てくる双識を凝視している。
「……兎吊木さん?」
 いぶかしげに名前を呼んでくる彼の目に映る、自分自身の姿を見て──兎吊木はようやく、からだの力を抜いた。いつのまにか強張るように握りしめていた手を、開く。
 何でもない事だ。
 ただの戯れの思考。
 何を──とんでもなくバカな事を、思っているのだろう。まるで悪戯のように一瞬だけ過ぎった、彼に対する感情の正体は、好意などという単純なものではない。そんな事は、出会ってからいままでずっとわかっていた事だった。
 それをなぜ、好きという言葉に置き換えたのか。
 浮かぶ感情の名前さえ知らないというのに。
 バカだなと兎吊木は思った。
「……………何でもないよ」
 いつものように言葉を吐き出して、一瞬だけ目を閉じた。
 そのまぶたの裏に浮かぶのは、絶対的な青。

 それを思い浮かべながら、目を開く。
















「大丈夫、ですか?」
 ほんとうに、と、心配も不安もなく、ただ疑念をぶつけてくる姿が目に映った。
「──────」
 兎吊木は一瞬息を止めて、……それから何事もなく笑った。
















「なぁ、双識くん。手を出してくれないか」
 伝票を置き直した彼に、にっこりと微笑みかけてそう言う。いぶかしげな顔をしながらも、双識は手をさしのべた。
 その真っ白なてのひらを、躊躇う事なく両手で触れて、包み込み、握った。
「兎吊木さん?」
 ごく自然にそんな事をした兎吊木に、双識の疑問の声は一瞬だけ遅れて───
 それが命取りだったのだと兎吊木はわかっていた。
 兎吊木だけはわかっていた。
「きみがほしい」




















 祈るようにその手を、自分自身の手ごと額に押しつける。
 この名前は欲望だと、このときはじめて気がついた。










繋がせて。




クラック、スタート。






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