2006.2.2/「あなたはわたしを捨てないでと泣き喚くの」






 睦言のようなものだ。















「嘘だから」
 双識はそう前置きをした。あまりにも無駄な前置きを零崎双識はその夜、家族に対してしていた。
 家族である零崎軋識へ、愚かしく、哀れみを誘うようにうつむいて。ふるえる指先で軋識のシャツの袖をつかんでいる。声はいつものように、やさしげな微笑を含んだものだった。それでもその声のかすかな違和感を見逃すほど、軋識はお人好しでも、バカでもなかった。
「嘘だからね、アス。私の言葉はすぐに忘れてくれ。嘘だからね」
 振り向く事はゆるされない。背を向けたまま、軋識はああ、とだけうなずいた。双識が笑った気配がした。
 軋識の手は玄関のドアノブにかけられたままだ。ちょっと力を入れて押せば、簡単に開いて、外に出る。
 けれど軋識はそれをしなかった。
 双識が、それを望んでいたからだ。
「私はね、ほんとうは……ほんとうは大丈夫なんだ。暗いところも、何もない無というものも、嫌だけれど──ひとりで生きるくらい、できるんだよ」
 どれが嘘か。
 前置きの言葉を踏まえて、軋識は彼の言葉を聞きながら分析する。嘘。どれが嘘だろう?
 ……答などわからなくても、考えてしまう。
「できるけれど、それでも私は、アスにここに──もうすこしだけ、いてほしいんだ。ううん、ずっとここにいてほしい」
 嘘が続く。真実が続いていく。
「ここにいてほしいんだよ、アス」
 ささやきの言葉は睦言に似ている。
 あまくて苦いそれに、軋識はどんな表情を浮かべればいいのかわからなくて、唇を噛みしめた。
「アスが好きだよ」
 彼は返事を望んでいない。
 ならば軋識にできるのは、返事をしない事だけだ──軋識は黙った。沈黙は痛々しくて、ドアノブをつよく握りしめた。
「アスを愛している。とてもとても愛している」
 名前を呼びたかった。
 軋識のその願望は現実に浮かぶ事なく沈んで、双識の言葉だけが続く。
「嘘だから」
 双識は繰り返して、また、笑ったようだった。
「だから、家族の事を捨てるアスは、いらない」




















 ───指先が離されて、
 とん、と背中を押される。
 その勢いでドアが開かれた。軋識は外に出て、ドアノブから手を離した。
 ドアは勝手に閉まっていく。
 その隙間を振り返った。





















「いってらっしゃい、アス」


















 彼の睦言と笑顔を最後に、扉は閉ざされた。










くちびるからこぼして




あなたが願うたったひとつの事を。






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