(あ、)
やば。
俺死ぬわ。
………何でこんなに若くして死ぬのだろう。薄れていく意識、倒れていくからだ、忘れていく痛み、それぞれに別れを告げながら漠然と思う。
レノにだってそれなりに人生幸福計画というものがあり、そうなるとそもそも神羅カンパニーという組織に入った事が間違いなのだが、しかし暴れられてなおかつ金の入る仕事をすると決めていたのだからまぁいいだろう。ああでも、生命保険、ちゃんと入っておけばよかったなぁ。いちばん安いのに入ってた気がする。
まぁいいか。レノが死んだって、遺産を引き継ぐ者なんていない。レノはたぶん、自分は将来家庭を持つ事はないと思っていた。わかっていた、という方が正解かもしれない。女性と長続きしない自分は、ゆるされる限り健全な女遊びをして、それなりにこどもに憧れたりして、でも結婚はしないつもりで。しかし、万が一寝た相手にこどもができたら精一杯努力して家庭をつくろうと決めていた。それなりに悪い男ではない。
もし家庭ができたら、なるべくいい家族の一員になろう。自分が父親だなんて笑えるけれど、もしそんな事になったら、精一杯努力しよう。
でもそんな事はほんとうに万が一、で、ありえないとわかっていた。いままで、それなりに仕事を積み重ねて、エースなんて呼ばれて、そこそこ給料も上がって、残業は辛いし変な奴ばっかだったけど楽しい仕事だった。いい奴らだ。
だからこのままずっと、これまでのようにそれなりに仕事をして、これまでのようにそれなりに遊んで、これまでのようにそれなりに仲間と笑って、できれば死ぬのは四十歳になる前がいいななんて思っていた。五年前くらいに退職して、あと五年間は適当に生きよう。
そう思っていた。楽しめればそれでいい。そう思っていた。
───けれど彼に出会った。
(ほんとなぁ……)
あたまをぶつけて床に倒れた。痛い。
遠くから声がする。うるさいなぁ。ツォンさんかな?お世話になりました。
(死ぬときって痛みは麻痺するもんなのかな、と、)
でも、息がうまくできなくて苦しい。苦しいよりは痛い方がまだいいのに。べつにマゾじゃないから嫌だけれど。
ちからの入らないからだ。ああ、ほんとうに死ぬんだ。
わずかばかりの遺産は、できれば彼に引き継いでほしいと何の前触れもなく思った。
人生をめちゃくちゃにしたといっても過言ではない、王。
万が一にあった家庭をもつという可能性も消して。四十歳ぐらいには死にたいだなんていう願望も殺して。ときにはそれなりに楽しもうという信念さえも覆させて。
ほんとバカだなぁと思う。いや、俺が。
あんな世間知らずの坊ちゃん。金髪碧眼、とてもきれいな。でもまだこどもだ。こどもなのにちからを持っている。守られている。守らなければならない。生きなければならない。ひとりでは彼は生きていけない。そばにいてやらなければ。そばにいたい。生きなければ。生きたい。
(────生きたい、)
あれ、何思ってる。
起き上がるな。死ぬぞ。しかも痛い。でももう苦しくはない。
(何だ、痛いし、力入るし、俺ってば駄目じゃん、と)
相変わらず声は聞こえないし、目の前は霞んでいるけれど。
(死ぬのはあんたの後だって約束したんだっけ、)
まったく。
百歳まで生きなければならなくなってしまった。
「レノ」
ささやくような呼びかけだった。
レノはゆっくりと、重いまぶたを開いた。
「気がついたか。無茶をして」
しぶとくてよかったな、とあきれたような、けれど微笑を浮かべたツォンに、レノはぼんやりと目を瞬かせる。
走馬灯のようなものを見ていた気がする。しかも彼ばかりの。死を目前にした人間はほんとうに見るらしい。けれどその内容が彼だけというのも笑える話だ。話してやろう。きっと笑ってくれる。
「副社長は」
出てきた声はすこしかすれていた。無様だ。
「……第一声がそれか?まぁ、そうだな。副社長は一度ここにいらしたが、どうしてもはずせない会議があったらしくてな。お前が起きたら電話をと承っている」
「電話……」
「ああ、ちょっとまて」
数秒、沈黙。コールの音。ツォンの声。ああ、わずかに聞こえるのは彼の声だろうか。
「レノ。ほら、とれるか」
うまくちからが入らない手を無理矢理上げて、電話を受け取る。受話器を耳に押しつけたとき、手に包帯が巻いてあるのに気がついた。電話が握りにくい。受話器はつめたいし。サービスが悪いなぁ。
「私はドクターのところへ行ってくる。すぐもどる」
「ん、どーも」
そんなにはやくもどらなくていいですよ、そう冗談のように言うと、ツォンが笑った気配を残して部屋を出て行った。
そして呼びかける。
「ルーファウス、様」
ついつい名前で呼んでしまって、あ、理性がうまく働いていないなと思った。ちゃんと様をつけた自分をとりあえず褒めよう。
『レノ、』
耳朶を打つ、声。
────うん、この声があるなら、
思わず浮かんだ微笑を消そうとしないまま、レノは思う。
この声があるなら、百歳まで生きてもいい。
家庭なんかいらない。女遊びもしなくていい。
仕事を死ぬ気でがんばる事もできる。彼を守るため、生きるため。
「はい」
『レノ』
「うん」
『レノ』
「聞いてるぞ、と」
『レノ』
「キスしたい」
一瞬、驚いたような、静寂の間。
『……………駄目だ』
「えー、何で」
『俺を泣かせた』
「泣いてくれたんだ。ごめんな。でも、うれしいぞ、と」
『バカ野郎』
「副社長がそんな汚い言葉遣い……」
『お前のせいだ』
「うん、そうだな。ごめん」
『もっと謝れバカ』
「ごめんなさい。ゆるして?」
『ゆるさない、』
だから殴りに行ってやる。
そう言った声は、すこし涙声だった、気がした。
「了解」
マゾじゃないけどいくらでも殴ってくれていい。
「来て。あんまり来なかったら俺が行くからな」
『レノ』
「ん?」
『愛してるから見舞い品を買ってやる。何がいい?』
は、と笑った。傷口が開いた気がする。
「愛する副社長まるごとぜんぶ」
うん、これがしあわせな人生ってやつだ。
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