「イヴは仕事だ」
がちゃん!ぷつ。つー。つー。
「………………」
本日、十二月二十四日、午前十時。
レノはしばらく茫然とした。受話器を握り、その向こうの相手に笑顔でしゃべっていたその表情・姿勢のまま──ただただ硬直する。
何だろういまの。
俺の聞き間違い?
あまりの仕事の忙しさに耳がおかしくなったんだろうか。
「先輩?何かたまってんですか?」
「………人生の虚しさを噛みしめてたんだぞ、と」
イリーナが書類の束を抱えてレノの後ろを通り過ぎる際にかけてきた言葉へ、ため息とともに答える。ぐるりと椅子を回転させて、タークスの新人を見上げた。
いぶかしげに首を傾げる彼女へ、一瞬迷ってから、問う。
「なぁイリーナ」
「何ですか?っていうか仕事してください」
「クリスマスってこう、イベントだよな」
イリーナの後半の言葉は黙殺して言うと、イリーナは目をぱちくりとまばたきさせ、うなずいた。
「まぁ、そうですね。当然そうだと思いますけど。……それは彼氏がいないわたしに対するいやがらせですか?先輩」
「違ぇって。そんな捻くれた考え方するなよ、と」
「じゃあ何なんですか?……あ、わかった、先輩フラれたんだ!」
ぴし、と───
タークスのオフィス全体に響き渡るような声で言われて、レノはふたたび、笑顔のまま硬直するはめになった。
「図星ですか?だってクリスマスの事訊くのにそんな暗い顔してるなんてそれしかないですもんねー……まードンマイですよ先輩!クリスマスでもイヴでもわたしたちにはかなしいくらい仕事がいっぱいあるんですからさみしがるひまなんてないですよー。仕事おわったら飲みに行きましょうね!」
いや、違うから。
何かあってる感じもするけど違うから。
しかも慰められてるってどうなの。
「………レノ」
イリーナが鼻歌混じりに去っていき、ふかくふかくため息を吐いたレノのもとに、ツォンが歩み寄ってきた。
それはあきれるような、あるいは哀れがるような、そんな微妙な表情だ。
「ツォンさん勘違いしないでください俺べつにフラれたわけじゃないんです何つーかこうただ単に世間のつめたい風に曝されただけっつーか」
「わかったからこの報告書を出しに行ってこい。あとあの方がほしがっていた資料だ」
ため息混じりに差し出された紙を、一瞬凝視して──それを受け取る。
「サンキュ、ツォンさん」
「いいからさっさと行け」
追い払うように手をぱたぱたとされたが、レノは満面笑顔で紙束を片手にオフィスを飛び出していった。
「………社長ー、えーと」
部屋に入る事はゆるされた。
社長室。
レノの上司で、同時に恋人である人間の広々としたオフィス。
そのデスクに積まれた書類と戦っている青年は──レノをちらり、と見上げて、すぐにまた書類に目をもどした。
「……………その書類の山、昨日見たときより三倍ちかく増えてる気がするけど」
「黙れ」
「それが不機嫌の理由?」
はー、と息を吐く。背後で扉が自動的に閉まる音を聞きながら、レノは紙束を適当にソファのうえに放り捨てた。これ以上彼を不機嫌にさせるものを渡すバカはいない。
「ちょっとさっきの電話傷ついたぞ、と。せっかくのクリスマスなのにさー」
「………レノ、お前にはこの書類の山が見えないのか?」
低い、地の底から湧き出てくるような声。
あ、キレてる。
「えっと……その書類はつまりアレか、俺らの上司?」
「あの無能な部下の名前をいま一言でも口に出せば私は星を破壊するぞ」
「…………すみません」
つまり、ハイデッカーが──しかし彼だけでこんなに書類が溜まるわけがない、他にもいろいろな人物が──仕事を失敗した部下の後始末が、ルーファウスのもとにやってきてしまっているのだろう。トップの宿命だ。
レノはちいさく、それとわからないくらいちいさな微笑を浮かべた。こつん、と足音を立てて彼に歩み寄る。ルーファウスはそれに対し何の反応も示さない。
つまり、ゆるしてくれるという事だろう。
「……じゃ、休憩でもしませんか、と」
デスク越しに目の前まで来て、座る彼を、見下ろす。
ルーファウスは顔を上げない。片手にペンを持ち、書類を見下ろしている。
「この調子じゃ明日も仕事みたいだし──つーかイリーナにも言われたけど、俺らも仕事溜まってるしな。仲良くクリスマスはこのビルで過ごしましょ?まぁ、できたらクリスマスデートしたかったんだけどな、と──」
「俺は」
つとめてあかるく言ってみせると、それを遮るようにルーファウスがいささかつよい語調で言った。
ぎゅ、とペンを握りしめている。めずらしい様子に、レノは彼の表情を見たかったが、うつむいているのでそれはかなわなかった。
「本気を出せばこんな書類明日までにはおわる」
かりかりかり、と、ペンが書類に何かを記す。
それを見送りながら、レノはしばらくその言葉をあたまのなかで反芻していた。
俺は。
つまりルーファウスは。
本気を出せば。
書類。
つまり仕事は。
明日までにおわる。
今日は、クリスマス・イヴだ。
つまり明日というのはクリスマスで───
「………だからお前もさっさとおわらせろ、バカ」
ちら、と、上目遣いで見られる。
上司としてではなく、ひどくプライベートな意味を込めた命令に、レノはやっぱりしばらく硬直していた。さきほどの電話や、イリーナのときとは違い、ショックではなくまったくべつの意味で───
「レノ!いいからさっさと行って仕事をやってこい!」
ばんっ!と机を叩かれて、怒鳴られてようやくレノは我に返った。
そこではっ、と笑みをこぼして、すこし、身を乗り出す。
「じゃ、予約」
ちゅ、
可愛らしい音を立てて、一瞬だけ唇にくちづけて──目をぱちくりさせているルーファウスに、笑顔で手を振る。
「んじゃ、また二十四時間後に」
扉が閉まり、そのときになってようやく気がついたのか、バカレノ!!という大声を扉越しに聞いた。
聞きながら笑って、レノは普段ならありえない喜びとやる気に満ちた足取りで、オフィスへともどっていった。
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