まるでそれは硝子の破片のようだった。繊細で脆くて、けれどいつだってつよい輝きを放っている。
触れれば壊れてしまうかと思った。けれどそんな事はなくて、逆にいつだってそのひかりに圧倒されていた。それでも守らなければ、だめだった。あまりにもうつくしいから、守らなければ砕けてしまうから───
その使命感ともいえる想いが恋に変わった日を憶えている。
あざやかな恋情と強烈な欲情。
どうしようもなくなるくらいふかい、──愛情。
「………と」
まだお眠り?と、それは気遣いの含まれたちいさな声だった。
微笑を浮かべて、うなずく。扉の付近に立ったレノは、入ろうとした足をそのまま引っ込めた。肩をすくめて。
「起きたら呼んでくれよ、と」
そうして音もなく閉ざされた扉を見送ってから、ふたたびベッドで眠るルーファウスを見下ろす。
やすらかな寝顔がうれしくて、けれどときどき寝息があまりにしずかなものだから、不安になって手を伸ばしてしまう。わずかに触れた体温が呼吸している事に、その度に安堵する。
ベッドの傍らに椅子を持ってきて、眠るルーファウスの右手をそっと握りしめていた。
───その手には、もう星痕は、ない。
ウェポンの砲撃から奇跡的に生き延び、ここヒーリンで療養していた二年間──そのあいだに、ルーファウスは星痕症候群、というものに侵された。
あのメテオが消えた日から、こどもたちのあいだで流行っていた病。原因も治療法も不明なそれを、恐れていなかったわけではない。けれど、ルーファウスがかかるとは誰も予想していなかったし(それはしたくなかったからかもしれないが)、皆そんな事はないと油断していた──
けれど、彼は、星の罰を受けるひとりになってしまって。
せめてこの身だったら、そう何度思った事だろう。
だからこそうれしい。彼は救われた。クラウドたちのはたらきにより、星痕は恵みの雨のかたちによって消え、車椅子に座ったルーファウスを見て安堵のあまりツォンはすこし泣きそうになってしまった(イリーナはすこし、涙ぐんでいたけれど)。
その後、濡れたからだを拭いて、着替えた後、すぐにルーファウスは眠ってしまった。
疲れていたのだろう。カダージュたちとの応戦や、病気による長い精神的な重荷に。
……まさかジェノバの首を放り、そのままルーファウス自身まで落ちてしまうとは、ツォンも説教したい気分満々だったのだけれど。
一日中眠っているルーファウスのそばにずっとついていると、そんな気分も遠のいていく。
「───俺のそばに、まだいるというのなら」
星痕が発覚したとき、ルーファウスが何か言うそれよりもはやく、ツォンはおそばにいますと言った。
その言葉に、ルーファウスはしずかに告げた。
「俺を守れ。絶対に」
(………命令を受けるまでもない)
たとえ、どんな拷問を受けても。
どんな過酷な状況でも。
(私はあなたを守る)
彼は知らない。
この想いを、この焼けるような心情を。
それでかまわなかった。
(───あなたは生きている)
ただそれだけでよかった。
たまらず、その手を握りしめたせいか、それともようやくからだが覚醒したがったのか──ぴく、とルーファウスのからだがふるえた。それをつかんだ手から感じて、顔を上げる。
ルーファウスの青い瞳が、ゆるやかに開いていく。
華が咲くようだとバカみたいな事を思った。
「ルーファウス様」
名前を呼ぶと、しずかにその瞳がツォンの方に向けられた。
ぼんやりとした目がツォンを認識して、そしてやわらかく微笑のかたちに細められる。
「────ツォン」
おだやかな笑みがうれしくて、ツォンも思わず笑みをこぼした。
「……一日、寝ていらっしゃったんですよ」
「そんなに……?」
「お疲れだったんですね」
「皆……は?」
「となりの部屋に待機しています。呼びましょう、レノもさきほど来まして───」
「いや、いい」
「え」
「あとでで、いい」
けれど、皆心配していますよ、という言葉は、紡ぐ事ができなかった。
「……お前が生きていてよかった」
………しずかな、告白。
「IDカードを見たとき、すごく、不安になったんだ」
───あんな不確定なもので、死を信じたわけじゃないけれど。
「よかった……」
心から安心したように、笑って。
そんな事を言うルーファウスに、ツォンは息を、呑んだ。
レノたちを呼びに行くため離れかけた手を、ふたたび握りしめる。そのつよさに、ルーファウスは一瞬、驚いたような顔をしたがすぐに微笑んだ──
ここ最近は見ていなかった、幼げな微笑がいとおしくて、ツォンはどうしようもなくなる。
「私の、……セリフですよ。ルーファウス様」
「飛び降りるのは、無茶が過ぎたか?」
「当たり前です。私とイリーナがまにあったからいいものの……もし来なかったら、どうするおつもりで」
「信じていた」
まっすぐに告げられた、無防備ともいえる言葉。
それでもツォンの胸をつくのには充分で、一瞬だけかたく、目を閉じた。
───いとしい。
いとおしくてたまらない。……このひとが。
「ツォン」
不意に呼ばれ、はっと彼の瞳に視線をもどすと、ちょっとこっちに来い、とささやかれた。
首を傾げつつも、乗り出すように距離を詰める。もっと、と言うルーファウスに誘われるまま、近づいて──
「─────」
あたたかくて、やわらかなものが唇に押しつけられる。
それがルーファウスの唇だと悟るまで、ツォンは何度か目を瞬きさせた。驚きに目を見張ったまま、ただただ硬直する。
「………ちょっとは反応しろ、バカ」
唇が離れ、間近でそうささやかれた数秒後、ようやくツォンはもどってこれた。どこかにいっていた意識をもどすように、戸惑いながらおろおろと言う。
「あ、あの、ルーファウス様、い──いまのは」
「お前がそんな目、するからだろ」
「目、って」
「ツォン。……俺が気がついていないとでも思ったか?」
あまい、睦言に似た響きに息を呑む。
まだ握っていた手を握り返され、ツォンは不敵に笑うルーファウスを凝視した。
「いい加減、素直に俺を欲しがれ、バカ」
そう言って微笑するルーファウスを一瞬、見て──そのままツォンはからだをすべてベッドに乗り出すと、ルーファウスの手をつかんだままシーツに押しつけて、いささか乱暴にくちづけた。さきほどルーファウスがしたものとは違う、触れるだけのものではなく扇情させるためのキス。
「………はッ、」
「ルーファウス様、」
「ん………」
「すきです」
かわいた唇を唾液で濡らして、まだキスに慣れていないぎこちない舌をあまく舐める。
何度も交わすくちづけの合間に、必死にこぼした言葉は、滑稽なぐらい真剣で切羽詰っていて、
「………すきです」
───とても、あまかった。
彼に恋をした日を憶えている。
ただ守ると決めた、うつくしい王。
彼をまさか、この腕のなかで抱きしめられるなんて思った事はなくて、だからこそ余計に、どうしようもなくしあわせだった。
手に入れた彼は、やはり硝子のようで。
誰にも壊させはしないと、やさしくつよく、その手を握りしめた。
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