あなたのために。
「………社長ッ!」
彼が発するにはめずらしい、焦燥に満ちた声。
それをどこか感動を憶えながら聞く。何だか信じられなかった。
「ご無事ですか、社長──社長!」
呼びかける声は切羽詰ったようにかすれている。がしっと腕をつかまれて、そのときはじめて返事をしていない事に気がついた──心のなかでは何度も返事をしているつもりになってしまっていた。バカだな、と思う。
───こんなときなのに、うれしい、だなんて。
「………ああ」
大丈夫だ、とこぼれた声は、いつもよりもすこしだけ弱々しいと感じた。
それを、ルーファウスよりも敏感なツォンは気がついたのだろう。安堵に満ちた表情のなかですこし眉をひそめると、スーツの上着を脱いで、タークスに支給されている厚い生地のそれをルーファウスの肩にかけた。
「走れますか。レノたちが出口を確保しています、急いで行けば……」
「敵は捕獲したのか」
「ソルジャーたちに任せています。それからルードを応援に」
わかった、とうなずいて、立ち上がる。
───暗殺の対象として狙われるのは、幼い頃から繰り返されれば、さすがに慣れる。
けれど今日に限ってタークスの誰も護衛につけていなくて(任務に出払っていたので、ルーファウスがゆるしたのだ)、さらにそれは深夜の神羅ビルの正面玄関で起こった奇襲だった──見張りの神羅兵が守ってくれたので、ビルのなかに逃げ込む事ができたから、身を潜ませていのだけれど。
「遠距離からの襲撃だったとか」
「銃だな。暗いせいでよく見えなかったから、わからないけれど……」
「お怪我はほんとうにありませんので?」
「大丈夫だ」
それよりも、銃を携帯する事を失念していた事がすこし悔やまれる。今朝整備に出して、もちろん新しい代替品がすぐに来たけれど、箱に入れたまま忘れていた。
「ルーファウス様、」
不意に名前で呼びかけられて、顔を上げる。
お手を、と言われて、首を傾げながら差し出した右手に、ツォンが鉄の塊を乗せた。
───ツォンの銃。
「いまはとりあえず、これをお持ちください。……念のため」
「お前は、」
「もうひとつ携帯しております。使い方は、」
「いい」
銃を手のなかでくるりとまわして、持つ。
微笑して、ツォンを見上げた。
「お前が私に教えたんだろう」
───銃の使い方を。
身を守るための術を、生き残る技を。
「………それでは」
まいりましょう、と丁寧に言われて、うなずく。
見下ろした銃は、いつもツォンがルーファウスを守るために使っているものだ。
こっそりと、微笑む。こんなときに不謹慎ながら、よろこびの微笑。
───これがあれば、何だってできる気がした。
「………ルーファウス様?」
車を停めたとき、返ってくるのが寝息だという事に気がついて、ツォンは振り向いた。
振り返ると、後部座席に座ったままルーファウスは眠っていた。今日は帰宅するときに急に襲撃があったから、疲れがさらにおおきくなってしまったのだろう。
ルーファウスと合流してからは、事はスムーズに運んだ。襲撃者は捕らえられ、レノとイリーナの確保した出口から脱出し、護衛をつけながらツォンの運転する車でルーファウスをホテルまで連れて行った。念のための処置で、今夜ルーファウスは自宅ではなくホテルで眠る事になる。
だがその前に、車のなかで眠ってしまったようだ。
ツォンは息を吐いて、呼びかけた。起こしたくないが、仕方がない。
レノたちはここに着いた時点で、さきにホテルの部屋まで行っている。そこまで連れて行かねばならない。
「ルーファウス様」
けれど呼びかけに、彼は答えない。
ツォンはふたたびため息を吐くと、運転席からルーファウスの方へと、ゆっくりと手を伸ばした。指先が、彼のさらりとした金髪に触れる。
「…………」
不意に思い至り、指先を移動させる。
まぶたのすぐ上を通り、頬を滑り、首筋に這わせて。
下ろしていった指先を、服越しに彼の左胸に当てた。
「………ルーファウス様」
あたたかい。
まだ、この命をなくしていない。
ずっと、なくさない。
「………おやすみなさい」
身を乗り出して、そっとくちづけた額のぬくもりに、微笑んだ。
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