もしかしたらという可能性を意図的に潰す事が必要になる。
 それは生きる術のひとつでもあった。すくなくともツォンにとっては、そうだった。













「───報告は以上です」
 いつものように、最後をそう締めくくる。ツォンの話を始終ずっと黙って聞いていたルーファウスは、聞いていたときとおなじ真剣な表情でうなずいた。
「わかった。じゃあこの件は片付いたという事でいいな?」
「はい。事後処理と隠蔽の方も済みました。いちおういま報告した事に細かいところをくわえた報告書がこちらに……」
「見せろ」
 命じられるままに、デスクの前にまで歩み寄る。差し出した紙の束を受け取り、目を通しながらルーファウスは眉をひそめた。
「……汚い字だな。読みにくい」
「ああ……レノの字は癖がありますからね」
 ツォンも何度かレノが書いた報告書には頭を痛ませたが、さすがにもう慣れた。どんなに丁寧に書けと言っても、「癖字だからどうしようもないですよ、と」と悪びれもせずに言われ、言葉の通り本人に直す気が起きるわけもなく、いまに至る。
「まぁ、しょうがないか。それは今度本人に言っておく事にして──ああそうだ、新人の調子はどうだ?」
「新人……イリーナですか?」
「それ以外にいないだろう」
 忌み嫌われる事さえあるタークス。
 その部署に行く事を、迷いなく希望した女性。いまのところ、タークスでは唯一の女性でもある。
 彼女が入社したときと、タークスになったときに挨拶で二度、会っただけだ。儀礼的なものだから、彼女がどういう人間で、どんな仕事振りなのかルーファウスは知りえない。
「そうですね。一生懸命に仕事をこなしてはいますが……まだまだタークスとしての自覚が足りないところが目につきます。口が軽いところとか」
「それは致命的じゃないか?」
 あきれたように目を細めるルーファウスに、ツォンはちいさく笑った。
「物覚えが悪いわけではありません。すぐにそこは平気になるかと」
「ふーん……ま、お前が言うなら間違いはないか」
 わかった、とうなずいて、ルーファウスはレノの書いた報告書をデスクの上に放り投げると、改めてツォンと名を呼んだ。
「はい」
「こないだの答はわかったか?」
 何気ない問い。
 それに一瞬、息を呑む。
「私がこないだ逃げた理由だ。考えついたか?」
「………いいえ。まだ」
 かわいた声が出て、唾液を飲み込んだ。
 その、かすかな動揺に気がついたのか気がつかなかったのか──ルーファウスはそうか、と笑う。














 その、どこかあきらめたような微笑から逃げるように、ツォンは目をそらした。












03 水面を泳ぐ













「お」
 意外そうな声に、ルーファウスは顔を上げた。
「何、社長がこんなとこにいるなんてめずらしいじゃん」
 そう、かるい調子で笑いながら話しかけてきたのは、赤い髪の部下。
「悪いか?」
 眉をひそめて言ってみせると、レノは肩をすくめた。
「いまは俺だけだからゆるしてあげましょう」
「何だそれ。意味がわからん」
「おひさしぶりのふたりきりだから万事オッケーって事」
 冗談めかして言うと、ルーファウスもかるく笑ってみせた。
「気色悪い事言うな」
 はいはい、と適当に答えて、自動販売機に向かう。
 ふたりがいるのは、簡単な休憩室だった。当然カードキーが必要な階で、しかし現在その階の人間たちは会社内の引っ越し″業に追われていた──そのおかげで、この階はいまは人気がなく、さぼるのに(レノ的に)絶好の場所となっている。
 エレベーター近くにある黒いソファ、自動販売機、ちいさなテーブルの上には灰皿と誰のものかわからない雑誌。灰皿の上には吸殻が何本か灰の中に埋まっていた。
 そしてふたつある横長のソファのひとつに、ルーファウスは座っていた。
「社長、何か飲む?」
 煙草も飲み物も持っていないルーファウスへそう呼びかけると、ああ、という返事。
 とくに飲み物の指定はなかったので、コーヒーを適当に選ぶ。レノはミルクティーだ。
 缶をふたつ持って、何の表情も浮かべずにただ座っているルーファウスのとなりに腰を下ろす。コーヒーを差し出して、彼が受け取るとお互い何も言わずに缶を開けた。
「………ミルクティー?お前あまいの好きだったか?」
「疲れてるから糖分摂取。あまいのは癒しになるんだぞ、と。社長もミルクティーがよかった?」
「紅茶はストレートに限る」
「わぁ、社長っぽい」
 かわいた笑みを貼りつかせながら言ってみせると、ルーファウスは眉をひそめた。
「お前……いちいち癇に障る奴だな」
「ときどき言われるぞ、と。ごく一部に」
 そう言って、砂糖がたくさん入ったミルクティーを口に含む。あまさが口内に広がって、あまいのは好きでも嫌いでもないレノはそれに対して何の表情も浮かべなかった。
 そのかわりのように、横で黙ってコーヒーを飲むルーファウスに問いかける。
「で。何でまたこんなとこに?一般の方に降りてくるなんてめずらしいじゃん」
 社長という地位につけば、当然彼の所有する部屋はひろく、食堂に降りてくる事も休憩に来る必要もない。休憩は社長専用の部屋があるし、食事はたいてい注文か外食だ。
 たまに気まぐれで降りてくるけれど、社員(とくにソルジャーでも兵士でもない一般の事務などを行う社員)が萎縮してしまうので、滅多にしない。ときどき兵士やソルジャーの様子をちらりと見に来るぐらいだ。
「ここがいまは社員がいなくて、ゆっくりできると秘書に聞いたからな」
「あんた専用の休憩室こそ誰もいないだろ、と」
「気分転換だ」
「………ふーん」
「私はデリケートだから」
「そこ、笑うところ?」
「……………お前と話してるとむかつくばっかりだ」
 不貞腐れたようにぽつりと言って、コーヒーを飲む彼に笑った。
「またまたぁ、俺と話すの好きなくせにー」
「気色悪い冗談を連発するな。クビきるぞ」
「……社長が言うと冗談になんねぇな」
 今度はルーファウスがおもしろそうに笑う。
 ………一介のタークスであるレノと、以前は副社長、現在は社長の地位であるルーファウスが親しくなったのに、たいした理由はない。レノがルーファウスを護衛する任務が何度かあり、そのときに話して何となく楽しくて、いまでは会うとすっかりこんな感じになるというだけだ。たまにプライベートで酒を飲んだ事もある。
 話が合うわけでも、気が合うわけでもないのだけれど。
 ほんとうに、ただ、話していると楽なのだ。
 肩の力を抜ける、そんな感じ。
 きっと、いままでルーファウスのまわりにはレノのような人間はいなくて──こんなふうに話す人間なんてはじめてだという事もあるのだろう。敬語も何もない、だからといって上司への気遣いがないわけではない部下。
 いや、部下というより──悪友とはこんな感じかな、なんてルーファウスは思っていた。
「そーいえばさ、社長。こないだ、いきなりひとりでふらふら行っちゃったあれ、何だったんだ?あれのおかげで残業増えて、散々だったんだぞ、と」
 散々、と言いながらもレノの口調はかるい。べつに怒っているふうもいらついているふうもない。
 わかっていたから、ルーファウスもことさらかるい口調で答えた。
「ああ……予想はつかないか?」
「予想?」
「そうだ。お前も知っているだろう?副社長になる前は、私が何度かここを飛び出していた事」
「あー……何度か捜索手伝わされたからなぁ。いっつも見つけて連れて帰ってくるのはツォンさんだから、俺いらねぇんじゃねぇの、って何度かさぼった記憶が」
「……わかってたけどお前最低だな」
「お褒めの言葉光栄。で、予想ね──副社長になってからはルーファウスサマもオトナになりまして、ひとりでふらふらするような危険な事しなかったのに、社長になった何でいまそんな事を?って事かな、と」
「その通り。で、どうだ?」
 クイズのようにかるい調子で言ってみせる。
 レノはミルクティーを飲み、数秒間──おそらく十秒ほど──黙してから、うん、とひとりうなずいた。
「簡単」
 そう笑い、缶をぐいっと上げて、一気にミルクティーを飲んだ。
 それをぽいと投げながら立ち上がる。缶は見事にゴミ箱の中に入った。
「ほう?答はわかったのか」
「当然。簡単すぎだって」
 自主休憩はおわりという事だろう、休憩室を出て行こうとするレノが、肩越しに振り返ってルーファウスに笑いかけた。
「最後、って事だろ?社長」
 ルーファウスは答えない。
 ただレノに、不遜な微笑を返す。
「正直なところ、これからどうなるかわかんねぇからな──最後のお遊び、最後のわがまま、最後の逃走──ってとこだろ?」













 ───神羅の王となり、
 もう道は前にしかない。
 これからどう足掻いても、ここから逃げる事はできない。













「最後にひとりで、ちょっと逃げてみたかっただけだろ?あの日≠セった理由は、何て事ねぇ、ただの気まぐれ──プラス、ツォンさんがいたからな。保険、だろ?で、保険の保険が俺ってわけ」
 万が一ツォンが見つけられなかった場合。
 さがしてくれる人間が必要だった。いままでツォンしかルーファウスを見つける事はできなかったけれど、……でももうひとりいれば。レノがいれば、見つけられない事はないと。
 代理というわけではない。
 その程度には、信頼されているという事。
「正解」
 一言言って、告げる。
「………お前も私を見つけられるかもしれないな。ツォンがいなくても、お前ならば」
「どーも」
「お前を選んだのも、正解だった」
「じゃ、今度何か奢ってくれよ。じゃーな、と」
 そう言い、ひらひらと手を振って、レノは背を向けて去っていった。
 それを見送り、ちいさく笑う。
 ソファに背をあずけて、目を伏せた。































 あとは進むだけ。
 何もいらない。───そう思った。








主任減点、レノがリード。
つまり私はレノが書くのが大好きなんだなと確認しました。うん。



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